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2007年12月31日 (月)

12/3日記~どん底みたんだもん

天気雨。昼から晴れるらしい。昨夜10時40分就寝。7時20分起床。薬の時間を22時にしてから眠ることができるようになった。薬も追加されて。
昨日は、久しぶりに「ちびまる子ちゃん」に「サザエさん」に日韓野球とテレビをみた。大笑いはしなかったが、サザエさんをのんびり観ることなんてなかったから。

今日は雨。雨の日は調子の悪い日が多い。今日はどうでしょう。どんな1日も1日。そして、どんな調子でも私は私。調子に、つまり自分の心と身体に素直に対応できればね。それでいいのよ。昨日の看護士Cさんとの話から自分の中で吹っ切れたというか、割り切れたものがあると思う。
昨日、妻が「俺は回復しているんだ!」という断定調はやめた方がいいんじゃないか、という話をした。たしかにそうだと思う。自分の状態を絶対化しちゃいけねぇな。
“今日はいつもより調子が悪そうだな。ま、そういう日なのよ。それを素直に受け止めよう、いいんだよそれで。”って感じかな?
「お互い頑張りすぎたのよ。自分を追いつめすぎたのよ。それは言い換えれば、他人をあてにせず、自分だけと思っていたってことなんじゃないかな。それを自分も他人もひとそれぞれで、それぞれにペースがあって、それでいいんだよ、ってことをこの入院を通して気づくきっかけにできたんじゃないか」
そういう話を私が入院中最もよくしてもらっている①さんや②さんと話した。仰るとおりだと思ったよ。みんな頑張りすぎて絶対化しすぎて、自分を追い込んだ。だからペース乱しちまったんだよ、お互いのペースに戻そうね、って。
教育の仕事が聖職だとは私は思わない。聖人化することは絶対化することだと思うから。でも、教育に携わる私を応援するって言ってくれる2人に私は嬉しく思う。たとえ教育に携わらなくなっても、自分を、他人を認めることができる2人なら、私はそれで十分。やはりこういう人たちを大切にしたい。
①さんが言った。「我々どん底見たんだもん。広く見られるよ。これから。」という言葉に私は納得した。

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2007年12月30日 (日)

12/2日記~子どもがいたんです。

昨夜、薬を待っていた10時ごろ、タバコ室で⑦(30才)さんと二人になった。「お子さんかわいいですね」と私に彼女が言う。何回この台詞耳にしただろう。そんなとき、彼女がおもむろに口を開いた。「私にもこどもがいたんです。」と。「子どもがいた?」とはどういうことだろう、と私は心の中で呟く。「は?」と私が聞き返す。「今、小6と小4」と彼女。「いくつで産んだの?」と私。「上の子は18」。離婚して6年という。「子どもに会えるの?」と私は聞いた。「会えない。声を聞くこともできない」と彼女は言う。子どもが4才と2才の時にバイバイしたという。夫婦の浮気喧嘩から彼女は体調を崩し、お互いに「病院に行け。おかしい」と言いあいながら、彼女が病院に入ることになったらしい。
彼女は娘2人の話をした。彼女の覚えている娘たちとの思い出、現在の娘たちの様子。子どもたちが20才になったら会えるとのこと。元夫とは連絡をとっていて、子どもの様子も聞くらしい。夫の両親に養育されている。夫の両親が娘たちを大切に育ててくれていることに彼女は感謝していた。
「会いたいでしょう」と私。この問いに「今は会わせる顔がない」と彼女は答えた。その理由まで深追いしなかった。彼女が彼女自身をどう思っているのかが、私にも分かったような気がしたからだ。彼女は娘たちの成長ビデオもあるので見てみたいと言っていた。
ここでステーションから私に「薬を飲め」の合図。別れ際に彼女は言った。「こんな話、私明日は忘れてるから。でも、この話するの何年ぶりだろう」と呟いた。
昨夜彼女が話したことを、本当に彼女は覚えていないかもしれない。でも、彼女の心の中には4才と2才の我が娘の姿が残っていて、そこで止まっていて、結婚生活も含めて残っているはずだ。私は我が子とバイバイした4才と2才の子のこと、そのときの思い、若い彼女のそうした過去にズシリと思いものを感じた。彼女は別れて気づいた、学んだことも沢山あると言った。その内容まで私は深追いしなかった。そして彼女はこう言った。「でも○○(私)さん離婚しちゃだめよ」と。
彼女の淡々とした言葉の裏にある重いメッセージだと思った。布団に入ってからも、幼い我が子と別れ、もう8年も子どもとの記憶が止まっている彼女のことを胸に重く感じた。そして「信じられない」という言葉が心を巡った。私は薬を飲むためにタバコ室を出るとき、彼女に何かを言おうと思った。でも、言葉が出てこなかった。何も言えなかった。

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12/2日記~退院の基準②

午前7時30分起床。昨夜10時40分就寝。またもや便秘気味だ。薬の副作用であろう。
ところで、昨日看護士Cさんと退院について話をした。何を決め手に退院を考えればいいか、と。結論から言うと、心の沈みが減ってきたときには退院を考えてよいのではないかと言ってくれた(後に考えると、これは「うつ」の回復推移グラフの考え方に矛盾していると気づいたが)。
いわば、これまで常に何かをしてきた、休むことを休み方を知らない私が、「今日は何もしたくない。しない」とか「楽しくなる趣味の時間を惜しまない気が持てる」ことを、今ようやく治療し始めたのだと感じる。うつ病でなくとも、イヤになることや何もしたくないことはあるわけで、そういう時にある意味割り切って転換できるか、これだろう。
常に完璧であろうとトップであろうとしてきた私が、ゴーイングマイウェイに方向転換。落ち込みつつ回復していく。これは面会での妻との話。家族というコアだけは大切にしていければ、そして私が私を認められれば、それでよいと思う。
最終的に気分の落ち込みのなしを退院の基準とはしない。それは回復の一つだ。気分の落ち込みを許せる自分が来たときが退院の基準ではないか、と私はそう思う。そうすれば、私は自宅で落ち込んでも荒れたり、暴れたりすることは減るだろうと思う。“再発しないように”と断定しない私になりたい。看護士Cさんと話して随分気が晴れた。

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12/1日記~監禁病棟へ

一昨日から⑥さん(女性)が入院した。アルコールであることがすく分かる。たばこも規制されているようだ。病棟内では重症だ。何しろ部屋にいない。タバコ室でタバコを拾っている。落ち着かず、ご飯を食べ終わる前にウロウロしてしまう。治癒するとどんな人なんだろう。そう思うほど落ち着かない。⑥さんは翌日監禁病棟へ行った。仕方ないと思う。

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12/1日記~退院の条件

午前7時起床。昨夜10時40分就寝。冬空の曇り晴れだ。風強し。昨日、スタッフに2度噛みついた。それを振り返って感じること。昨日はスタッフも忙しかったのではなかろうか。私が入院したとき、スタッフの雰囲気がいいと思った。それはステーションに和やかな笑顔があったから。私が入院したときだって忙しかったろう。でも、昨日スタッフに笑顔があったかな?スタッフも疲れているんだろうな。入院したとき、あんな和やかな職員集団は久しぶりだった。そうした雰囲気は私もかつて職場で経験したことがある。あの1年担の時や3年担の時も和やかだった。和やかさや余裕は伝わるものだろうな。

タバコ室で④(36才)さん、⑤(72才)さんと退院の話になった。④さんは不眠症で入院2ヶ月契約だったので12月15日に退院とのこと。⑤さんは疲労で入院したので12月20日ごろ退院予定とのこと。任意入院なら本人・家族が希望し、主治医が許可すれば退院できるとのこと。④さんと⑤さんは、ここで患者するより退院した方がよいのではないかと言ってくれた。俺は、どうなれば退院を決意すればよいのだろう。職場復帰の問題は型がついた。「死にたい、消えたい」という思いは消えた。あと何が必要だろう?ゆっくり過ごすことのできる生活リズムの定着か?気分の落ち込みの快復か?休職が怠けでないとはっきり言えることか?できることなら家族と過ごしたい。家族と過ごすことで、いや自宅に帰ることで「行動義務」や「行動結果欲」が出ない状態とは、何をもって判断すればよいのだろう。退院のタイミング。通院への切り替え。それは何を基準にしたらよいのだろう?今は答えが出せそうにない。

・・・・入退院については、精神保健福祉法に①患者の自発的な意思に基づく入院(任意入院)、②二人の精神保健指定医が患者を診察し、入院させなければ患者が神経症状のために自傷や他害するおそれがあることで判断が一致した場合に都道府県知事が矯正的に入院させる措置入院、③措置入院ほどの急性症状はないが、適切な治療を行い患者を保護するために入院が必要と一人の指定医が判断し、保護者等が同意した場合に矯正的に入院させる医療保護入院があります。②と③には強制性が伴い退院も指定医、保護者の承認が必要です。私は①任意入院です。・・・・

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閉鎖病棟ってこんな感じ。

20071220_3 病棟内には個人部屋と4人部屋がある。私はずっと個人部屋だった。写真は私の部屋である。入口は木目調。車椅子でも入る広さだ。カーテンはピンク色である。布団は薄く軽いので、長時間寝ると腰が痛い。ただ、ベッドも木目調でベッド下に収納付き。奥の机は白。大学のゼミ生の机のようだ。棚は紬柄の正方形型の模様だ。当初は、この紬柄だけ冴えないと思っていたが、しばらく経つと落ち着いた感じがしてくる。
病棟内には共有スペースがある。そこには、大きなテレビと籐の椅子が10脚ほど。さらに籐の板間が3m四方ほどテレビの前に広がっている。広々した空間だ。
食堂は白い丸い机が5脚。長方形机が1つ。配膳コーナーで名前を呼ばれたら食事を受け取る。全てのテーブルに一輪挿しがある。食事もバラエティーに富んでいる。例として11月30日の献立を挙げよう。野菜が多いのと味はやや薄めなのが特徴だが美味しい。
朝:ロールパン・ボイルウインナーとソテー・牛乳
昼:魚フライタルタルソースかけ・おかず金平・ご飯
夕:豚肉生姜焼き・味噌汁・落花生煮物・漬け物・ご飯
食堂に隣接する喫煙室は空港にあるものとさして変わらない。風呂は脱衣場が6畳ほど。籐が敷いてある。中に入るとシャワーが5つほど。床は石である。週に2回大風呂(5m×2m)程に浸かることができる。
トイレは半自動ドア。自動照明・自動洗浄。病棟内の電球は全て肌色電球にカップがかぶせてあり、暖かみがある。
病棟を見学される方や面会の方が「ホテルのようだ」としばしば口にする。確かに綺麗で広い。病院の白というイメージより木目調が多いというのも特徴だろう。
娯楽はテレビ・卓球・トランプ・花札・雑誌などがある。週2回はおやつの日。たまにカラオケの日なんてのもあったりする。と、病棟はこんな感じである。
但し、私のいる閉鎖病棟は、今紹介した場所以外に許可なく出ることができない。外へ出るには2枚の扉の施錠を解除しなくてはいけない。個室の部屋窓は開く。が、3cmほど。窓の開きは微々たるものだが、個室・食堂などガラス越しに外の風景を眺められる。ただ、閉鎖であり、北病棟だけに太陽の光を浴びたいという気持ちにかられる。

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11/30日記~ヒモ騒動。ハァ?

今日は晴れた。病棟に僅かに差し込む太陽の下でしばし読書をした。鉢の花にも陽をあててあげた。③さんが退院した。昼寝をしていた僕は彼を見送ることができなかった。退院した③さんは、どんな気持ちだろう。希望と不安か。
午前10時に院内散歩を申し出た僕は外の太陽の光を浴びたかった。しかし、午後3時を過ぎても何の連絡もなかった。・・・・この時の私は看護士同伴院内散歩しか許可されていませんでしたから・・・午後3時に陽は陰った。もう散歩はいいと思った。が、看護士Bさんとともに外に出てみた。風が強くて寒い。暖かな陽射しは消えていた。この寒風が今の僕のようだ。温まるものを感じない。いや、一つあった。それはシャワーの湯。何時間でも浴びていたいほどだ。
部屋に戻ると妻と子どもが面会に来ていた。しかし、持参した着替えのジャージの腰ひもは許可できないので抜くようにと看護士に言われ、既に抜かれていた。私は激怒した。ひもをつけて着る服のひもを外せということは、その服を着るなということに等しい。看護士さんはベルトも許可していない、ゴムを替わりに入れてあげますと言ったが、納得はしなかった。靴ひものある靴を履いている患者がいる。靴ひもからひもをとったら靴の用をなさない。服にひものついている人もいる。ひもには用途があるわけだ。ゴムを入れることはジャージの体を変えることになる。ならば、靴もひもをはずすべき。激しく私は抗議し、ひもは認められた。用途以外にひもを使わないことを条件に。しかし、用途として使うひもを外したら使えないわけだから、当然ながらそんなことをするはずがない。
私の怒りは収まらなかった。①さんや②くんが「ここは俗世と違うから規則も変わったものがあるのよ。そういうもんだ」となだめてくれた。用途通りに使っているものを禁止されるのは、やはり許せなかった。用途以外に使う人もいるかもしれない。しかし、用途通りに使う物が俗世と違う理由で許されぬのならば、俗世から離れた格好に統一すればいいのだ。
他人からみたら何でもないことだろう。しかし、私にとっては自分の服装から信用されていないと感じて不愉快だった。今日は1日笑った記憶がない。でも、看護士さん方はよくしてくれていると思う。私はイライラしている。何に?誰に?
今日は自分を見つめる余裕はなかった。余裕が欲しい。

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11/30日記~「しなきゃ」からの脱却

今日で11月が終わる。7月17日の病休から4ヶ月以上が経過したことになる。昨夜8時30分に寝て、今朝6時10分に起きた。9時間40分の睡眠。アタマはすっきりしている。スッキリな気分だけに動きまわったり、ペースアップしないよう、スローライフと自分の時間を大切にしたい。
ここまでの4ヶ月。「畑をしなきゃ」「副収入をえなきゃ」「本を読まなきゃ」と「~~しなきゃ」で過ごしてきたような気がする。「~~したい」と思って始めたことも「~~しなきゃ」に変わってしまったと思う。残り3ヶ月。「~~したい」と思う気持ちを待つ。「~~したい」と思わないことも「~~しなきゃ」と思わないことも怠けではないことを、私のいいところって何なのかを探して行けたら、とそう思う。私のために、家族で過ごしていけるなら。

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11/29日記~肥料・待つ・・

佐々木正美『相田みつをー育てたように子は育つ』を読む。私の気に入った相田作品。

・「肥 料」   新版『いちずに一本道いちずに一ッ事』所収
 あのときの  あの苦しみも  あのときの  あの悲しみも  
 みんな自分の肥料になったんだなぁ  じぶんが自分になるための  みつを

ー怠けているように見える時間は、大抵は心のエネルギーの充足のために必要な休息の時間なのだ。休息のあとに続く思索や活動のために必要な、本当に必要な休息なのだ。どんなに長く続く休息に見えたって本当に必要な時間なのだ。そのことは、本当に十分の休息を与えたあとになってみるとよく分かる。分からないのは不十分なうちにせきたてて次の活動に追い込むからである。本当に必要な休息や回り道の時間なのに、誰かが怠けているなどというものだから、やがてその子は本当に怠け者で存在価値がない人間だと思いこんでしまう(佐々木解説)ー

・「待 つ」   『人間だもの』所収
待ってもむだなことがある  待ってもだめなこともある  
待ってもむなしきことばかり  それでもわたしはじっと待つ   みつを

ー休息の「現在」であれば、その現在を静かに見守っていてやりたい。休息が終わって活動を再開するのを、いつまでも待ってやりたい。はた目には待っていたことが無駄だったように見えても、かけがえのない親子のような関係のものにとっては、苦楽を分かち合った者にしか分からない存在の重みの感動が必ず残る。だからじっと待ってやりたい(佐々木解説)ー

・「そのままで いいがな」   相田みつを美術館蔵
そのままで いいがな

ー無条件の承認、子どもへの最高の愛情表現。条件付きの愛情が大きければ大きいほど、子どもは相手に対する不信感を大きくして、自分への劣等感も大きくしていく。「できなくたっていいんだよ。待っていてやるから」(佐々木解説)ー
ー自分の胸に手をあてて考えてみれば分かることではないか。そんなどうせそうそう簡単に直すことのできない欠点は、そのままにしておいて、長所のほうを見つけ出してやれば、子どもはその長所を頼りにして生きていける(佐々木解説)ー

佐々木正美と相田一人の対談から
・自分の家族を大切にしないで一生懸命医学の研究をしている人なんて偽物だ。自分の家族を大切にしないで患者やその家族を大切にできるはずないですよ。(佐々木)

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11/29日記~会話の宝箱

今日も午前2時起床。2時30分に薬をもらう。3:15、3:30、4:00、4:15、4:25と目が覚め起床。昨夜の晩からタバコに手をつけた。喫煙室(タバコ室)は会話の宝箱だ。いろんな経験や体験をした人たちと会話ができる。考え方も様々だ。最近、とみに思う。同業者の友達はほんの少しでいい。というかそんなにいらない。異業種の人がおもしろい。
ここ数日夜中に目が覚めてしまう。それから入院1週間。体力の衰えが顕著だ。散歩は面倒と思っていたが、そろそろお願いしよう。
今日は朝からぼーっとしている。食欲が無く、何も手につかない。午前8時30分~12時まで寝る。午後もゴロゴロ。
今日は診察の日。Ⅰドクターから、まずは落ち込んでいるうつ状態を脱することに専念するために、せわしく動かないことに。睡眠薬を今までの午後8時服用ではなく、10時に飲み、薬を変えることで眠れるようにしてみることに。
今日はバイク雑誌を買ってきてもらった。雑誌をみて懐かしさに少し気も晴れる。でも、そもそもこれを書いているのが、もうきつい。

・・・・私の入院した閉鎖病棟は自由に外出や散歩はできません。主治医の許可を得た上で、看護士同伴の院内散歩→単独院内散歩→単独外出→外泊と段階を踏むことになっています。単独で病棟から出た場合、病棟に帰ってくるとボディチェックが必ず行われます・・・・

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11/28日記~はえぇ!

ここの食事は、朝8時。昼12時。夕18時である。しかし、10分程前からもう食堂には人が集まりはじめ、定刻前に食事が始まることが多い。ここの患者は何より食うのがはやい!18:10には食堂にオレしか残っていない。行動は遅い人が多いが、食うのは早いんだ。
今日の夕食には、人参と大根とインゲンとネギが入っていた。うちの畑はどうなっているかなぁ。この1週間で畑も変化しているだろうなぁー。

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11/28日記~家族と暮らせるなら

面会にきた妻が言った。「家族と暮らせるなら、どこでもどういう形でもいいじゃないか」と。「オレがムリしてムリな仕事をするとか、そんなことより自分ーオレがいいと思っている仕事で家族みんなで暮らすのが一番だ」と言っていた。

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11/28日記~伝説の男、看護士A!

看護士Aさんと話す。私のいる閉鎖病棟は新患や症状の急激な変化した患者が入って来るという。様々な患者がいるため、セキュリティや規則が厳しい感じになるようだ。
ところで、看護士Aさんは様々な伝説を持つ、私が出会った久々の「伝説の男」だ。
看護士Aさんの伝説
・手首骨折事件:空手をしていたAさんは、試合中骨折した。ギブスをしたが、夏の暑さにガマンできず自分でギブスを切って生活。冬に痛みがひどくなり、病院に行ったらボルト固定の手術だった。
・ピアス事件:昔ピアスを開けていた。安全ピンで穴を開け、釘のような太い金具を穴に入れ込んだ。数時間後に穴が開いたと思い太い金具を外したら大出血した。そこでまた太い金具を入れ直したらしい。・・・・これはかなり痛いはずです・・・・
・理科の実験事件:中学の理科の授業の時、バーナーで鉄片を燃やしてからふざけて上に放り投げたら自分の左腕に落ちてきた。火傷で鉄片が剥がれず苦労した。当然理科の教諭にこっぴどく叱られている。
・海で足を切る事件:海が好きなAさんは、ある日テトラポットで足を滑らせ足の指裏を切ってしまう。県立病院で「歯ブラシしてもいいですか?」と言われ、要領を得ないまま「はい」と言ったら、歯ブラシで傷口をゴシゴシ洗われたらしい。激痛だったと言っていた。その後縫合するわけだが、足先は麻酔も効かないので麻酔なしで縫合。激痛過ぎて5針縫う予定を3針にしてもらった。ちなみに抜糸は自分で切ったと言っていた。
・頭切れた事件:痛みに鈍いせいか、頭を切っても病院にいかず自然に治そうと思ったらしい。シャンプーの際、痛いと思って傷を思い出しながら洗う生活をしているうちに治ったとのこと。
・兄の部屋事件:兄の通った高校は十数年前最も荒れていたらしい。授業が終わり、先生が教室を出るとすぐ一斉に喫煙。次の授業の先生が来ても、教室は煙モクモクで誰が吸ったか分からない状態だったらしい。そんな兄は自宅に部屋を持っていた。そこは兄の友人のたまり場となり、酒にたばこをやっていた。ある日、母が夕食なので兄らを呼んでこいとAさんに頼んだ。部屋に行ってみると、タバコの消し忘れと吸い過ぎで、兄たちは煙を窓から外に出そうとしていた。もうそれは軽くボヤのような状態だったらしい。カーペットにも火が落ち、もみ消したが消えず、折りたたんで消そうとするが、それでも消えず、水をかけて消した。数年間、そのカーペットは兄のタンスの下敷きにしていたが処分しようということになった。兄とAさんは証拠隠滅のためカーペットを燃やそうとした。木の葉を集め火をつけるが燃えない。仕方なくガソリンを購入し、適当にカーペットにまいた。遠くからライターで火をつけるが燃えない。仕方なく兄がガソリン部分に手を伸ばして火をつけると・・・・一種の爆発!兄の腕毛はチリチリに。無事火は消えた。カーペット処分成功。

とこんな感じの伝説は数知れず。私は大爆笑だった。笑う門には福来たる。ありがとう。看護士Aさん。

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11/28日記~ネオリベと彼の不安

③さんと話す。彼は関東の郵便局に勤めている。7年ほど前からアルコール依存症を自覚する。寝入の悪さや夜を明かして友人と酒を飲むうちに依存症になった。
③さんは、3ヶ月の休職で入院している。その際、職場から「病人はいらない」と言われたそうだ。つまり、しっかり治してこいという意味だと言っていた。
郵政民営化によって、これまではクレームや不手際の際、注意や始末書で済んでいたが、今後は金銭分与に影響するという。すなわち、4ヶ月に一度査定があり、S~Dのランク付けがなされる。ランク付けの基準はクレームや不手際の多寡によるという。ランクが高ければ部署に多くの配当がなされる。低ければその逆だ。また、これまで営業部員が行っていた営業も今後担う可能性があるという。これも貢献手当といい、成果が賃金に反映される。まさにネオリベの典型だ。そして何よりもこれまでとの大きな違いは、成果が出ないときにクビを切られる可能性があること。
不安はあるか?という私の問いに「すごくある」と彼は答えた。顧客への対応、成果を求められる職場への対応。“郵便局をよりよくしよう”ではなく、“個人の成果をよくしよう”というシステムへの転換への戸惑い。彼は近く退院する。1ヶ月の自宅療養後、16年務めた関東へ戻る予定である。

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11/28日記~幹根は揺れない

午前2時30分に目が覚める。睡眠導入剤をもらうが、3時30分までウトウト。3時30分にお茶。その後また横に。4時20分起床。眠入りは昨夜9時30分過ぎと早かった。5時間睡眠くらい。夜が早いと朝も早いんかな。4時30分にまたウトウト。起きたら8時!朝食です。
今日も雨。風も強い。食堂から外を眺める。風で枝が揺れている。大きく。でも幹根は揺れない。幹根に近い枝も揺れない。外野の枝は揺れる。目に入る、今日は風があるんだな、と。でも幹根は揺れない。あの部分だけで周りの風は判断できない。
俺は幹根が欲しいんだよ。いや、欲しくはない。幹根になっちゃうの。枝葉の揺れはうるさいし、重いし、うざったいけど、幹根は折れない。折れるとしたら枝だ。そして風は止む。

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2007年12月29日 (土)

11/27日記~批判は存在を証明する!

病室を移動した。101号室になった。

13時45分、私の職場の長が面会に来た。私が1月復帰をする場合、元のポスト、つまり担任復帰で考えている。私の希望によっては、担任復帰しないことも勘案。現在、職場には私を含め2人の病休者がおり、自習が多い状態(私の授業は時間講師が入っているため自習は少ないはず)。病休が2人いることは理事会でも批判の声がないことなく、自信をもって1月復帰できると言える状態に生徒・保護者ともない。
私自身は職場に「迷惑」をかけていると思っているようであるが、迷惑をかけていると思う必要はない。「迷惑がかかっていないことはない」が、お互い様であり、長自身も体調不良の時には、“これは休め”ということだと考えている。
私は調子が良いときは業務できるだろうが、調子が悪い時に休むであろうこと、さらに再発がありうるので、担任としては責任が持てる状態にない。そういうことを勘案すると今年度お休みして、来年度に備えたい、と言った。
来年4月以降も休職が続く場合には、人事上のことも考慮したいと長が言ったので、“具体的にどういうことですか”と私が問うと、“人事のことなので推定では言えない”という返答だった。
長は保護者・生徒からの病休に対する批判には、フォローをすると言ってくれた。同僚の非難などは考えられないと言っていた。“復帰に向けてのペース配分で今回はつまづいてしまった”長は私のことをそう表現していた。したがって“来年度に向けてしっかり休養をとって復帰に備えて欲しい”と言っていた。

14時30分、私の職場の副が面会に来た。まず副と主治医が私の経過を話していた。副は私に会ってまず、「ふっくらしたねぇ」と言った。「ゲッソリしていた時期を見ていたからですよ」と私は答えた。主治医との話から休職に入ることを確認。「4・5月と張り切って頑張ったもんねぇ。オーバーヒートを起こしたわけだから」と副は言った。さらに副は続けた。「同僚としては必要な戦力。休養して復帰して欲しい。」と。さらに、副は事務的なことは分からないが、と前置きした上で、「休職で給料は減るけれども、身体が大切。身体のためにしっかり休養をとって復帰して欲しい」と言った。私が復職に際して、生徒や保護者の目、声があることへの不安について話すと、副はこう言った。「誰も休職中の私のことを口にしない状態の方が問題でしょう。話題に上がるということは、存在があるということ。プラス思考でいかなきゃ」と。
オレは正直、怖い。復職時の同僚が、保護者が、生徒が、そして自分が。今までにない世界に足を踏み入れるわけだから。だけど、先の副の一言は“怖がることないよ”と教えてくれているようだった。まさにそうなのだよ。批判される、揶揄される、嫌み言われる・・・・その他、私に向けてのプラスの台詞もマイナスの台詞も、病休中の俺の存在が相手の心の中にあったんだ、気にしていたんだと考えられる。マイナスの台詞は痛いだろうが。でも、これってすごく大事なことじゃない?「批判は存在を証明する」ということだ。名言だよ!号泣しちまったもん。病気になったんだもん。これは覆らない。

副を見送った後、コーヒーを持って椅子へ。「迷惑がかかっていないわけではない」「批判がないわけではない」という長の二言が心にズシッと残った。そして、“迷惑をかけた”“批判を受けた”この1年は俺にとって意味がなかったのではないか、つまり1年1年を大切にしてきたつもりの俺にとって、今年は“ムダ”な1年に思えて、沈み込んだ。
そんな時に看護士Aさんが私の背後から声をかけた。「どうされましたか?」と。私は今日の経緯を話した。それに対して看護士Aさんは否定した“この1年はムダではない”と。まず、ゆっくりすることを学べた。私は仕事をしつつ遊びも楽しんでいる看護士Aさんのライフスタイルに入院当初から憧れていた。看護士Aさんは言った。「ここに入らなければこのライフスタイルを知ることもなかったよ」と。そんな看護士Aさんも1年半前に離婚し親権も失った。1年はその失望を引きずったという。しかし、「その1年があって乗り越えた自分がいる。だからその1年はムダではない」と言った。
そんな看護士Aさん、今は夜光貝のペンダント作りに凝っているという。その夜光貝も弟さんと自分たちで取りにいくというからオドロキ。夜光貝を機械とやすりで削り、研磨剤をかける。こっそり看護士Aさんの携帯で写真を見せてもらった。いろんなデザインのものがあって、何より本格的だ!夜光貝の写真に驚いているとバイクの写真があった。看護士Aさんは、ドラッグスター(アメリカンタイプのバイク)に乗っている。タンクが純正より小さく、マフラーも改造。これを鹿児島のオーナーからオークションで買ったというから、またオドロキ。ベージュの良い形をしたアメリカンだ。そこからバイクの話へ。ブロス、XJR、ゼファー、スティード、CB750等々。いろんなバイクの話が出てきて楽しい。その時ふと看護士Aさんが言った。「○○さん(私)、さっきと全然顔が違う。明るくなった」と。明るくしてもらったんだよ。俺はやっぱりバイクが好きなのだろう。バイクの話にニコニコ。そして看護士Aさんのライフスタイルやこぼれ話にニコニコ。
今日は泣いて笑って考えたよ。そんな1日だったヨ。ところで、今日は見舞いに来た妻と殆ど話さなかった。というか、事務的な話くらいだった。彼女も疲れているのだろうか。毎日の見舞いが負担で、私の休暇申請に入院保険申請の手続。そして家事、パート。事務的なことは、入院中の俺にできないし、妻しかいないから仕方ない。俺のことで疲れる妻。俺が復活しても妻が倒れるじゃ意味ないじゃん。見舞いも一段落事務が終わったらいいヨ、って言おう。明日はこのことを妻に伝えよう。

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11/27日記~よく眠れた

午前6時起床。睡眠薬を追加したのでよく眠れた。昨夜9時30分に眠ったから8時間半寝たことになる。昨日が実質4時間しか眠れなかったことを考えると、睡眠を多く取り、ゆっくりとしたペースで本でも読む。これで十分治療になりそうな予感がする。
ところで今日は雨。窓から見える山の松の木も揺れている。植物にとっては恵みの雨。台風が近づいているらしい。植物をみると和むような気がする。
気がつくと、俺の話し相手は①さんと②さんの2人。ま、友達作りに来たわけじゃないし。

・・・・読書と言っても、病棟にある本は興味がないので妻にもってきてもらいます。持ってきてもらった本は、病棟看護士からチェックを受けます。仕事に直接関係する内容や一般的にレベルで難解な内容の本は許可しないとされました。仕事をしていない自分を責めたり、難解な本を読めない自分を責めたりするからなんだろうな、とチェックの判断基準を今の私はそう解釈しています。・・・・

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11/26日記~休むとは?

遊ぶと休むは違う。でも、遊びが心の休みになることはある。とすると、遊びや趣味を楽しめることは休めること。疲れたときに休める趣味が欲しい。もう一つ。疲れたら休む。それは“休む”のである。俗世を忘れるかのように“休む”のである。
今、私はここにアルコールに頼らない、俗世を忘れるかのような休みにはどんなものがあるか?それを探しに入院しに来ている。つまり、自分を見つめなきゃいけないな。他人じゃないよ・・・・。

・・・・入院当初、他の患者観察をしていた私でしたが、この辺りから本当に観察すべきは自分じゃないのか?と思い始めたのかな、と感じます。・・・・

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2007年12月28日 (金)

「今日は死ねる!」と思った・・

今から書く内容は入院中の日記ではなく、今日のことです。またまた、私の病気が私を襲った内容ですが、今は落ち着いていて、明日これを思い出しながら書きたくないので、今日書いておくことにします。

私はうつ病と出会ってから、これまでに「死にたい」と思うことはあっても、「死ねる」と思ったことはなかったんです。でも、今日の昼過ぎから思い始めました。

今日は死ねる!実行しようと思えば可能!

「こんな重い気持ちを引きずりながら生きていくのはもうキツイ!イヤだ!」と考えが浮かび、「だったら、今日は死ねる気がするってことは、死ねばキツイから解放されるってことじゃん!」と繋がったわけです。でも、この時点では、「死ねる」と思ったわけで「死にたい」と思ったわけではありません。
ところが、夕方あたりから
「死ねるんやったら死にたい!今日がチャンスや」と思い始めました。なぜそう思い始めたか?と言われても答えが出てこないんですけど、キツイ状態から解放されるなら今日しかない!と。その時、お酒が少し入っていたことも影響したかもしれません。

妻の帰宅後、私は言いました。「オレ、今日死ねる!」と。妻は「は?・・・」という顔をしていましたが、だんだん私の話が分かってくると、当然自殺するなと言います。それでも、私は「今日しかない!」と繰り返して死ぬ方法を考えました。というより前から自死するならコレ!と決めていました。それは服薬自殺。致死量の某風邪薬を飲むんだ、と。そして致死量も私は知っていました。

「ホントに死ぬのか?」と自問自答しましたが、「今日だ」と思って薬局へ向かおうとした途端、大雨。ずぶぬれで薬局に入り、大量に風邪薬を買い込めば明らかに怪しまれる!と思った私は、服薬を断念。自宅玄関先で縊死しようと決めました。道具を準備し、足台に乗り、首にひもをかけて、しばらく覚悟を決めるために深呼吸。まず左足から宙に浮かせました。「ううっ!結構苦しい!」と思いましたが、後は右足。

この足さえ宙に浮けば、数分のうちに解放される・・・・。

と、ここで死への恐怖に襲われ、しばらく左足だけ宙に浮いたまま・・・・。この間どのくらいあったでしょう。目の前の景色が遠くなりかけたその時!恐怖と苦しさから宙に浮かせていた左足を台に戻しました。そして縊死を諦めました。ま、いわゆる自殺未遂だったわけです。

自宅に入り、自分の部屋で踞りました。右足を浮かせられなかった後悔の念、恐怖、どうすればこのキツさから解放されるんだ?と自問自答です。「キツさからの解放」。その方法は私にも妻にも分からず、母へ電話。とても心配してくれましたが答えは出ない。と、そこへ妻が入院していた病院へ電話しはじめました。私の入院していた病棟の看護士さんに救いを求めたわけです。
対応してくれたのは、入院中よく対応して頂き、退院の見送りもしてくれた看護士さんでした。薬はきちんと飲んでいるか等を確認した上で、看護士さんは言いました。「ぬるめのお風呂に入りましょう。シャワーを頭からかけましょう。シャワーでリラックスできると思うから。そして頓服を飲みましょう」と。私が「明日もキツかったら、また頓服?」と尋ねると、「ずっと今の苦しみが続くわけじゃないから。必ず楽になるときが来るから。だから、今日はまずシャワーを浴びてみて」と言ってくれました。

「ずっと今の苦しみが続くわけじゃないから」

という一言が、私の死への緊張を少し解きほぐしてくれました。電話後、早速風呂にゆっくり浸かり、シャワーを頭からかける。これを繰り返しました。風呂に入る前、身体が緊張して階段を下りるのもままならなかった私が、ケロッとして風呂から上がってきたのに、妻もビックリしていました。勿論、私もビックリ!あの超!超!マイナス思考と死への執着は何だったんだろう?という程でした。
今、落ち着いています。看護士さんから先ほど電話を頂いたので様子を話しました。「ホットミルクを飲んで休んでみてください」と教えていただいたので、今からそれを飲んで今日は休むことにします。

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11/26日記~医者もいろいろ!

午後も1時30分から3時30分まで寝た。午後4時に妻が来る。4時15分から、私の主治医であるⅠドクターの受診。
・来年3月いっぱいまでの休暇延長。・睡眠薬の増加・リラックスタイムをつくりましょう(病院でもゆっくりしたペースで)・アルコールについて、依存と酩酊は違う。うつ病と酩酊も直接的な関係はない。だから、うつ病治療に専念しましょう。という診察内容だった。

妻は入院前に通院していた心療内科に足を運んでいた。そこで言われたこと。
・入院しても症状に変化はなく、アルコールを断つ事以外に入院の意味はない。・私が妻や子どもに甘えているので鹿児島や福岡でアルコール依存治療をした方がよい。・妻が飲酒を許容していることが問題。と言われたようだ。
しかし、私はアルコール酩酊の治療をしたいわけでない。うつ病が酩酊を誘発しているかもしれないなら、うつ病の治療を行うべきだと思うし、オレが苦しんできたのもうつ症状なのだ!以前の心療内科のドクターとは見解の相違がある。だから、もうそこには通わない。もう一つは、私の酩酊は妻のせいではない。私のせいである!

・・・・心療内科や精神科にもいろんなドクターがいます。数年前の体育大会の打ち上げで私は酩酊になり、家中のものを全部投げて殴って壊しまくったんです。それが深夜だったのでアパートの住人から「うるさい」と苦情が来て、果ては警察まで来て警察署に連れて行かれ、そこでも暴れたことがあったんです。でも酔いが覚めた後に待っていたのは、自己嫌悪とアパート住人に会わせる顔がないということでした。そんな悶々とした日々が2週間ほど続いたので、ある心療内科に行った。そこで言われた一言。「引っ越したらどうですか?」。私は、この人はアホか!と思いました。引っ越し後に酩酊でまた暴れたら、また引っ越すのか?これで診察料を取られると思うと腹がたって。ドクターとの信頼関係って大事ですね・・・・

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11/26日記~「何もしない」ってどういうこと?

午前3時起床。やや過呼吸発作がおきる。袋を使って抑える。3時30分~4時10分横になる。4時10分再起床。9時30分~12時5分睡眠。
今日は、気分が冴えない。死にたいとか消えたいとか切りたいとか、そういうのはないんだけど、すごく疲れた感じ。
俺の病気は波があり、その波のぶれ幅や期間が短くなっていく(と本で読んだ)。今日はぶれた日だ。何もしなくていいんだ。「何もしない生活」と思っていた入院生活の何かにか頑張ったのだろうか?「落ち着く」とか「何もしない」ってどういうことだ?寝ることか?座ることか?外を見ることか?
疲れた・・・・きつい・・・・

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こんな感じなんです・・

今日は12月28日。仕事納めの日。私は、現在前夜10時に睡眠薬等7錠飲んで、11時頃寝ています。それでも午前4時ごろ目が覚め、「まだ寝よう」ともう一度目を閉じ、うつらうつらで2時間で午前6時。「まだだ」と覚めた目を閉じて、またうつらうつら。
午前8時30分ごろ、家中に大声が響く。息子同士の喧嘩や妻が寝室そばで長男に向かって「そこにあるでしょ!」等の声。それで私は目が覚める。そこで私が「ブチッ」とキレル。「うるさい!!」
妻の所へよろけながら歩いていく。よろけるのは、頭が「まだ寝たい」と言っているのかもしれません。そこで私は妻にまくし立てるんです。
「次男が昨日の夕方寝てたとき、周りをドタドタ走る長男を注意してたよね?妻が昼寝してる時には私が長男とドタドタしないようにしている。でも、私が寝てても関係なしにそんな大声を出すなんて!俺なんかどうでもいいんだろ?」
妻は答えます。「大声のつもりじゃなかった。普通の声の大きさのつもりだった」。
私はさらに噛みつきます。「じゃぁ、そこから大声出してみろよ」。と私は寝室へ。妻は言われたとおり大声を出す。でも、私の眠りを覚ました時の声と大きさは変わらない。「大声だせって言っただろ?俺を起こした声と変わらない。ちゃんと大声出せ」としつこく噛みつく。そして、「俺がいるから普通の声でもうるさい、って言われるんだろ。俺がここからいなくなれば声の大きさなんか気にしなくていいじゃん。もう、俺、いなくなりたい」と布団の中で言い続ける。「いなくなりたい。どっか行けばいいんだ。俺はいない方がいいんだ」って。イライラしたままでは、もう眠れないので起きてシャワーを浴びます。その間も独り言してます。でも多分、また眠くなって私は寝てしまうんだと思います。
・・・・って、私はこんな感じなんです。入院中に考えたたくさんのことが、その昔に思いこんでいただけだったような気になってしまいます。

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2007年12月25日 (火)

ほら、やっぱり・・・・

 入院中の日記をちょっと中断して別の話題を少し。
高校日本史教科書への沖縄戦集団自決に関する記述を巡って、記述修正を申請した教科書会社5社が文科省から再修正を求められました。「日本軍の強制」という記述から「日本軍の関与」への記述修正です。この記述修正に沖縄県知事は「こんなもんかな」と言っていました。しかし、これでは集団自決に対する“責任”は完全に消え去ってしまいます。
 今の私は、仕事に関する本を読んだり、首を突っ込んではいけないと医者から言われていますが、この出来事は見ちゃいました。
 私は沖縄での9・29集会以降、ブログでも他の場所でも「検定意見撤回があの集会の目的だったはず。記述修正で妥協しちゃいけない。」と書いてきましたし、少しながらそういう行動も有志でしてきました。
 検定意見撤回にこだわっていれば、検定意見撤回がなされていたならば、再修正はなかっただろうに・・・・。「あの集会何だったの?」になってしまう私(たち)の危惧は、現実になりそうです。それも12月の末に再修正意見という、出版時期を逆算して出したと簡単に推察できる文科省の狡猾なところ。
 さて、さて、教科書記述再修正への反応やいかに!?

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2007年12月23日 (日)

11/25日記~ちょっとした変化

今日は夕食から振り返ろう。今日の夕食の座席は殆ど全体が見渡せる位置だった。いろんな顔、男、女、年齢。様々だ。ここで一つ疑問が湧いた。
「閉鎖病棟」ってどんなやつが入るの?
アルコール依存症、うつ病、統合失調症、自傷・自殺危険者?不眠症なんてのもあるらしい。他には?
今日は庭に出ることが許可された。ー外に出ると患者の表情が違う。外で音楽を聴く者、バレーに興ずる者、草花を楽しむ者、外に向かってただ座っているだけのもの。様々だ。今日は4日ぶりに花壇の草を抜いた。花の名前など知らない。でも、草をぬけることが、それが楽しい。草花の葉をめくって、その下に隠れている草を見つけたときの喜び!!これはたまらない。
昨日、今日と2つ気がついた。1つは、食事でおかわりをし始めたこと。動いてないのに腹がへるのはナゼだ!?2つめは、テレビをみるようになったこと。病棟には共同広場に一台のテレビがある。俺はテレビをみてテレビに声をかけている。テレビに声をかけているのは俺一人だ。例えば、相撲で「お~いいぞっ」とか「うまい」とか「おしい」なんてことを言っているのは気づくと俺しかいない。実況が珍しいデータを紹介して「へぇ~」なんて言っていると周りに振り返られる。

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11/25日記~思いがけない面会

 午後にⅡドクターがみえた。様子を見にきてくださったらしい。近況を話した後、次のことを言ってくださった。
・閉鎖的な環境で自分をみつめる良い機会ダヨ。おそらく、これからもうつ病の波があるだろう。その時に、どんなふうに考えて乗り越えてきたか。どんな苦しみをもっていたか。それをメモをしておくこともいいでしょう。
・木曜日(入院した日)とは表情が違う。切羽つまった顔と妻の行き詰まった顔を見て入院決断をしてよかった。
・半年後、1年後、客観的に自分を見ることができるときがくる。ずっと今の状態が続くわけではない。ゆっくり休んで自分を休めてみましょう。
・「自分を見つめる良い機会だ」と繰り返し話された。
・復職の件については、Ⅰ(匿名:私の担当医)ドクターと相談してもいいし、これまでⅡドクターにみてもらってきたので、Ⅱドクターでも出てくれるとのこと。
・人間は弱いものだ。喫煙はやめようと思うときやその体調によって再度やめられるものだ。たばこのことを頭に常に置いて、「いけないいけない。吸ってはいけない」とガマンするより吸った方がいいのではないかな。

思いがけずのお見舞いにビックリしたが、とても嬉しかった。私のことを気にしていてくださったことが。
自分をゆっくり、リラックスして何も考えない、あるいは見つめ直す時間にしたい。でも見つめ直すことが自己否定になっちゃだめだよな!

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11/25日記~何を共有しようカナ?

朝4時起床。6時再起床。今朝は雲のない風のない天気の良い朝だ。でも、天気予報では曇るし、海はしける。北西の風らしい。窓からみえる壁面のコンクリートがクレーターのようだ。今朝は久しぶりにラジオを聞いてみた。全国列島リレーニュースをやっていた。

やっぱ俺は生きたいかな。自分の子どもがなつき、いずれ反抗し、共に酒を飲んだり、理屈っぽく語ったり。我が子の成長を見たいかナ。妻ともともに老いたいカナ。金なくても、手のぬくもりを感じていられるような。そうやって一緒に老いていきたいカナ。妻と二人で老いを楽しむってのもいいよナ。今は、俺が自分のことばっかりしゃべって、病んで。これからは、妻の喜びや悔しさを聞きたいし、同じ体験を共有したいネ。そうすると、「今日は何を共有しよっかナ?」なんて考える気にもなるかナ?

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11/24日記~酒・煙草=父=怒?

 今日も家族が見舞いに来た。毎日家族が見舞いに来るのは嬉しいけど、照れくさい。日記を読んだり、Yさんに電話をしたりしている間に1時間が過ぎた。
 妻はオレの病気について、「考えても仕方のないことだから」と言い切った。でも、俺が暴力的になったり、自己否定したときのことをどう思い、今後どう考えているのだろうか?そんなに楽観なのか?「私だったら寝込んでる」と言ったYさんの言葉は大げさではないと思った。何でもなければ、うつのみなら楽観もありえよう。しかし、酒酩酊、暴力、自己否定、自殺、自傷。これも楽観しているのだろうか?
 次に我が子(長男)。「お父さんたばこまた吸っていい?」の問いに「いや」と答える。「なぜ?」とたずねると、「怒るから」と答えた。〈たばこを吸う=怒る?〉長男の中には、〈お酒を飲む=怒る〉もあるだろう。つまり、〈酒・タバコ=怒る〉のイメージなのだろうか?だとしたら、今ここで俺が苦しんでいるのは、怒りとの戦いか?そして俺の怒りは既に長男に刷り込まれている。酒、タバコ=父=怒りの図式になりつつあるのだろうか?どこでこれを切ればいいんだ?あるいは切る必要はないのか?怒りと戦っている俺にその判断は今できない。

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11/24日記~何も考えない日々

『漁火医者』読了。「流氷が来るところで暮らしたい」と鹿児島医専出身の新人医者田村裕三が、知床の漁村で診療所に赴任したのは昭和26年。医療器具はおろか、薬さえ手に入りにくい時代に、たった一人、医書と首っぴきで村中の病気に立ち向かい名医になっていくが、自らも病に倒れてしまう。医業に情熱をかたむけ、釣り船の漁火のように人々の心にいつも明かりをともし続けた裕三の鮮烈な生涯を描いた物語。
今日は数人の患者と話す。①(45才)さんは、統合失調症。③(匿名:37才)さんはアルコール依存症。②(28才)さんも統合失調症。
何も考えていない日が続いているような気がする。だから、考えたり記憶したこともすぐ忘れる。死にたい、消えたいという気持ちは起きてこない。何も考えない日が続く訳だから消えたい、死にたい気も考えつかないわけだ。
アルコールに耐えることはつらいが、それ以上の人もいる。何も考えない、何もしないことに苦労する私がいる。外の風景をみる。今日のカゼ、強い、強くない。今日の天気、雲多い、少ない。肌寒そう。この天気なら、我が子と釣りに行けたかナ?

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11/23日記~暇だ~~!

そういえば、部屋のこと書いてなかったナ。8畳くらいの広さだろうか。個室は広いと思う。でも、ひも類は一切なし、コード類もOUT。このえんぴつも借り物。部屋にテレビなし。差し入れ食べ物持ち込み一切なし。これはなかなかキビシイ。
昨日、長く電話をしていた女性。今日もキツイ目をしていた。失恋だろうか。動いてないのに空腹になるのはなぜだろう?空腹になると、タバコが欲しくなる。今までタバコの欲しさを酒でごまかしていたのかもしれない。とすると、タバコを吸えば酒の欲しさは消えるか?それは保証できない。タバコをやめられず、酒も飲みたくなるかもしれん。
今日は重松清『ナイフ』を②(匿名)に貸した。精神系はあーいうお話好きだろう。ゲーム感覚で起こるいじめの当事者や第三者になってみる小説。
ところで、外の情報は全く入ってこない。・・・・これは後に間違いだと気づきます・・・・
誰も知らないので話題のはずみようがないのか。会話がすごくはずんだりすることはない。ま、精神病棟だもん。「ギャハハハ」じゃおかしいもんね。・・・・これも後に間違いだと気づきます・・・・
でも、居場所に困ることはない。自分のスペース。自分の時間。景色の変化はないけど。することがないことに慣れること。

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11/23日記~北病棟

午前5:30に目が覚める。とにかく部屋に何もない。机・いす・ベッド・棚。これだけ。コンセント類の持ち込みもダメ。通信手段もない。病棟毎にユニットを形成している。オレがいるのは北側の病棟1階。25人程カナ。男女共用棟。交際もあるのかもしれない。
それにしても北病棟は名の通り北向きだだヨ。陽があたんない。陽が射してるなぁ。向こうに。ゲームに乗っかった俺は我が子との時間を捨てた。俺が奄美に来たのは、この時間をとるためだったのに。
何もない生活はあきらめがつく。どこに行っても何もない。落ち着かないどころか、そわそわしようがない。えんぴつを看護士に借りてボーッと外をみる朝。今日は子どもと釣りに行けたカナ。
こんな日が続くのか。することはない。そわそわしようがないんだから!まだまだユニット患者の名前は覚えられない。昨日握手にきたのは①(匿名)さん?俺のこと覚えてっかな?担当看護士さんはいい人だ。

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11/22日記~その後

入院。はじめての入院。ちょっとドキドキする。今まで行った入院のお見舞いの時には、入院への羨望さえあった。かくして入院手続きへ。その夢見た入院生活のギャップに驚く。まず、携帯なし。ネックレスなし。ピアスさえも外してほしいという。針があるから?

・・・・病棟へは他に次のような物が持ち込み禁止でした。「はさみ・カミソリ(I 字)・ナイフ・針・爪切り等の刃物類・ライター・マッチ・針金ハンガー・漂白剤・飲食物・現金」。では日記に戻りましょう・・・・

鍵付き扉を二度・三度通ると病棟がある。部屋へ。個室だ。部屋は広いが何もない。ネットのない、現金のない生活。食事はある。さながら食堂つきの無人島。
夕食で病棟患者と出会う。結構見た目普通の人が多い。携帯とりあげられた私にとって、連絡手段は公衆電話。俺のいない家族生活ってどうなんだろう?俺も子どもで子ども3人みたいな生活から子どもが一人減った。うれしいカナ。
食事はおいしい。手作りだね。20人強が黙々と食べる。会話はないな。食材との会話だよ。男女比6:4くらいかナー。あとは喫煙者が多いネ。オレの部屋の前はライター置き場。ライターは個人所有禁止だからさ。みんなここで火をつけるわけ。これまた部屋の前でいいにおい。
ムリしてコミュニケーションとる必要性感じない。でも、人間観察したいネ。ずっと見てると気になる人が出てくるヨ。きっと。それが楽しみさ。

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11/22の日記~ゲームスタート

 この日は、2日前に行った肝臓の検査の結果が出る日です。肝臓の検査を行ったセカンドオピニオンの精神科は、奄美群島で最も大きな精神科病院です。肝臓の検査は院長直々に行ってもらいました。院長はアルコール依存患者の治療を数多くみてきた、ということだったので。
 ここからは、その日に書いた日記を綴っていきます。この1ヶ月間、私がどんな経過を辿ってきたのか、その日の、その時の声を書き残すためです。その時の状況を分かりやすくするために、時折ナレーションのようなものが入るかもしれません。

 入院したよ。朝から落ち着かない1日ではあった。落ち着かない私には、刺激のあるもの。落ち着かせるもの。それが必要だ。それはゲームであり、刺激的な危険である。危険な行為は、自分をスレスレまで痛めつけることであり、ゲームである以上、楽しくドキドキしたものになる。今日は佐賀の日だ。でも俺は奄美にいる。まぁ、俺がいてもいなくても関係ないんだよ。「お前の存在軽いヨ。切っちゃえば!周りもおどろくヨ。あとに残るし。」

・・・・と考えながら私は台所から包丁をもって自分の部屋へ行きました。左手を地面について、右手で包丁を左手に向けて突き立てました。この時、家には誰もいませんでした。左手を刺そう!刺そう!と思うと過呼吸が出てきて、どんどん呼吸が荒くなります。では、ここで日記に再び戻りましょう・・・・

火曜の検査も知りたかったし、院長にこの過呼吸を見て欲しかったカナ。オレが治療すべきはアルコールじゃねぇヨ!この過呼吸で苦しんできたんだ!って。アルコールが問題なら、とっくに病院送りになってるはずじゃん。過呼吸でしびれのきた全身。ハンドルも握れねェけど、病院に行くよ。オーバー気味なほどの過呼吸。病院に着いて車を降りても足がしびれて立てずに倒れる。それでも病院内へ。処置室で倒れる。刺激ダヨ!ゲームスタートダヨ!脈・血圧・筋肉注射。院長の顔がうっすら見える。
午後1時・・・・目が覚める。トイレ。点滴をもってく。帰ってくると、血管から血が逆流しちゃってて。点滴つけなおし。腕をさすりながら優しく対応してくれる看護士さん。妻へメールをうつ。「今、病院」。妻が病院へ電話。何だか根回しでⅡ(匿名:セカンドオピニオンで診てもらっていた先生なんです)先生が診てくれることに。
消えたい自分と消えてはいけない自分。ゲームに参加したい自分と参加してはいけない自分。葛藤。職場の目はどうでもいいが、1月復帰はできないと言われた。ボクは月曜に再来院すればいいと思っていたが、妻は限界だったのかもしれない。

・・・・とこうして即日入院が決定しました。

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11月20日の「私」

 私は11月初旬に旅に出ました。そして長男の誕生日に奄美に帰り着きました。そして11月20日、それまで通っていた心療内科に行きました。そこでの診察のこと。
 ・ うつ病の症状はほぼ治りつつある。
 ・ うつ病よりもアルコールによる酩酊が度々あることを治療した方が良い。
   (2~3年前から酩酊になるほど酒を飲み暴れたりすることがあったんです)
 ・ 肝臓(を含む内臓)の検査をした方が良い。
 ・ アルコール依存ならば知っている医者を紹介する。
という内容でした。11月に入って確かに穏やかな生活をしていました。でも、本当に私の課題は「アルコール」なの?うつ病の時のあの苦しみは、アルコールの問題になってしまうの?という疑問はありました。
 それでも、セカンドオピニオンの精神科で肝臓の検査をしてもらいました。そこで酩酊になることとアルコール依存症は別のものであること、うつ病が酩酊を誘発しているかもしれないことを教えてもらいました。私にはセカンドオピニオンの意見の方が納得できました。

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はじめに

 今回、ブログを移設しました。どうぞよろしくお願いします。
なぜブログを移設したのか??このことについてまず書くことから始めましょう。

私はブログを自分の記録として、歩みとして残しておくことを目的に書いています。
なので、ある程度の記事が溜まるとそれを書籍にして保存したいと思っています。
これまで記事を書き溜めてきたブログを今回書籍にしようとしたら、かなり料金が高くてビックリしたことと、書籍にするのが何だか複雑で、もっと簡単に書籍にしたいと思って、以前使用していたブログサイトに移設し直したというのが1つめの理由です。

次に、私はこの新ブログをスタートさせる直前まで精神科に入院していました。私が入院するのは人生初めてのことでした。内科や外科などと違って身体的な苦痛を経験する入院生活ではありませんでした。でも、人生初の入院生活は、私に実に多くのことを考えるためのヒントと時間を与えてくれました。こんなに考える時間を与えられたことはこれまでの人生でありませんでした。私はそこでいろんなことを考えました。と同時に何も考えない自分の時間もたくさんありました。何も考えない時間って結構大切です。何も考えないことは意外に難しいものです。でも、この時間があるから自分のことを考える時間が再び登場してくることになるわけです。だから何も考えない時間は大切です。

このブログをスタートさせる今、私は退院しましたが完治したわけではありません。私はうつ病です。調子の良い日もあれば調子のよくない日もあります。そんな日々の繰り返しの中で今まで自分が知らなかった、というか「時間の無駄」と考えていた時間やモノの面白さや大切さを知ることができました。そういう今まで経験したことのなかった自分を書き残しておくことは、自分のことを記録しておく上で大切なことだと思います。なので、新しいブログをスタートさせて、私のことを記録しておきたいと思います。それは、私にとってきっと意味あることになるでしょう。

私にしか意味のないことをわざわざブログにする必要があるのか?
実は意味のないことかもしれません。でも、私にとっては意味のあることなのでブログとして記録に残すことにします。私のブログをご覧になる方がいるとして、このブログがその方にとっては全く意味のないものかもしれません。それでも構いません。今、私がブログを新設することは、あくまで「私」のためだということだということをはじめの言葉として、このブログをスタートします。

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