2008年3月20日 (木)

なかなかなかない☆

リハ勤3日目。昼食までいただいた時点で退庁。毎日話題に事欠かない職場です。
3日目が終わると疲れました。こんなもんだろう、と思っていました。私の中では合格ok
病み上がりが3日なんてヘッチャラ!って言ってたら、逆に後がコワイbombもんね。
連れ合いさんが病休をとった経験のある同僚とそんな話をしていたら、
「☆WB☆さん、越えたねぇfuji」と褒められちゃったcoldsweats01
でも、まだまだよ。味方がいれば敵もいなけりゃ。
敵の存在で病気が再発したとは言いたくないし。それが病気と「付き合う」ことかな、と。

昨日は帰宅後、部屋で熱唱note。そして倒れるように寝たsleepy
熱唱noteしたのは、「泣きたい」と思ったから。「泣け!」と自分にやってましたcoldsweats01
今はコレ書きながら雲を眺めてマス。まだまだ「文武両道」はムリだねcoldsweats01
ここ2週間ほどで手にした、読んでない本は何冊もあるけど。ま、いいかcoldsweats01

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2008年3月18日 (火)

どう声をかけるか迷うのよぉ~

今日はリハ勤2日目。大雨の奄美です。雨粒の音以外は「しーん」とした職員室。
昨日の職員会議の資料をペラペラ・・・。未読のリーフレットや通達をフムフム。
薬の副作用でしょう。尿意が近いのに排尿困難・・・1時間もちませんねぇcoldsweats01
喉の渇きや眠気という副作用はokですが、尿意だけはちょっと困ったもんです。

ところで、職員室にいると大概の同僚が声をかけてくれます。
声のかけ方は様々。男性は「オス」とか「ヨッ」とか「おはようございます」とか。
女性は挨拶に加えて話をしてくれる方が多いですね。昨日の生徒と同じ傾向happy01

今日話しした女性職員は、「どう声をかければいいのか迷ってた」って言ってた。
ボスから職員へ病状や病名の説明はなかったようで。だから「迷うのよぉ~」と。
てことで,お話を随分しましたね。「話せてよかったよ」と言ってくれました。
つい最近も元同僚が「声をかけていいのか,どう声かけするか迷った」と言ってた。

そこでボスの所に行き、私が復帰した暁には少し話す時間をくれ!と直談判。
「同僚へのお礼・お詫びと病気への理解を求める時間が欲しい」と。
「君が引け目を感じることはない。話す時間を準備しよう」とボスに了解を得ました。
同僚にまで変に気を使われるのは嫌な感じですから。前向きにカミングアウトだsign01

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2008年3月17日 (月)

リハビリ出勤1日目

今日からリハビリ出勤(略して「リハ勤」)~ノンフルタイムで軽作業を行う勤務~を行いました。9時前に職場に到着sign01

職場で履いていたスリッパを下駄箱から取り出すと、ホコリが溜まっていました。そのホコリにこれまでの時間を感じたのか、私は笑顔catfaceでホコリを払いのけて履きました。リハ勤は職員室で過ごします。今日は、休暇中に溜まっていた資料の整理。

そんな今日も、登校したのに1時間目前に体調不良で早退を訴える輩が4人ほど。間もなく案の定、輩たちのサボリが発覚!その一人が保護され職員室に来ました。
言ってくれます。「俺のこと覚えてるば?」だって。「忘れるわけないわいup」と私。で、世間話をしてたら微かな甘いニオイ。「アメかガム食ってきたやろup」と言うと、「ううん」と否定する顔はバレバレcoldsweats01。「何味食べたか当てたるわup」とクンクンして、「オレンジsign01」。「違うpig」。「次は絶対当てたるup・・・ブドウsign01」。「何でわかった?」。「勘よ、カンbleah」。

そんなこんなで午前の授業終了時に今日の私は退庁。私が靴箱にさしかかったとき、ちょうど体育の授業を終えた女の子たちの声が。どんな反応しよるかな・・・。というか、どんな反応をしようかなぁ~coldsweats02と思って靴箱をでたとき・・・「きゃぁ~~virgo」。と滅多に言われない声をもらいましたcoldsweats01。「復帰するんですかsign02」「うん、そうcoldsweats01」「じゃ、社会の授業もするんでしょsign02」「うん、まぁねcoldsweats01」「いつから?明日から?」「いや、明日じゃないけどネcoldsweats01」「じゃ、あさって?」「いや、あさってでもないcoldsweats01」「じゃ、いつ?」「まぁ、近いうちネcoldsweats01」。

男の子は遠めにいて「こんちは~good」みたいな。それはそれで面白いなぁ~catfaceと。
リハ勤初日。何や言うて、まだ私は「休職」の人ですから。それは自覚してます。
だからね、あわてない、急かない。 長~~い リスタートの初日ですからね。
でも・・・心にあった「どんな反応しようかな?」は杞憂やった。普通に行こう・・・snail
明日は今日とはまた違う1日でしょう。ま、当たり前やね。でも普通に行こう・・・snail

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2008年3月16日 (日)

手紙

9~17時くらいまで半袖短パンで過ごせる3月中旬の奄美です。
今日は手紙の整理をしました。と言っても読み直して内容を確認するだけ。
卒業時の手紙には、生徒からはお礼や夢がよく書かれています。
卒業後間もない教え子の手紙は、高校への戸惑いや決意が多い。
中には「高校から剣道始めました」とか「新しくチャレンジで」というのも少なくない。
高校卒業する教え子の手紙には哀愁や大人びた感じが出て来ます。
卒業・進級時の保護者のお手紙にもお礼や当時の悩みなど綴られてます。
前任校6年間公私ともに好き勝手やった同僚の手紙は短い!が思いが伝わります。

そんな中、読み過ごしていた7年前の1通の手紙。
それは、私が剣道指導者として師と仰ぐ方からの手紙でした。
私が鹿児島市内に異動後間もなく、入院病気療養に入られた。
病床から、私の「行動を起こす」勇気を称えてくれてありました。
その後、長い闘病生活や生活上の苦労があったことを耳にします。
現在も地元にいらしゃるようで。会いたい方の一人です。

もう一通。昨年もらった教え子からの手紙。
夏休み後半に大きな怪我をしたスポーツをする教え子。
手術を避けて地道にリハビリ・ウエイトしつつ治療する教え子が病休の私へ。
「先生にわ、やっぱ先生に早く戻ってもらいたいです」
そのご母堂のお手紙にも沢山の示唆や応援の言葉がありました。
葛藤する僕の中で、この教え子の台詞には、言葉が・・・でません。

何年経っても当時の様子や思いが残る手紙・・・。
僕は筆無精ですが、実にいろんな手紙をいただいたものだと思いました。
当然、手紙以外にもたっくさんの応援や報告や再会、出会いもあります。
でも写真以上に手紙の整理は進まなかった・・・coldsweats01

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2008年3月15日 (土)

気づかせてもらったこと

午後、畑の作物を近くに住む私の元同僚宅にもっていきました。
私は3時間近く居座って、そして喋り倒しました。ごめんなさいです。
でも、話をきいてくれる人がいること。
これが当たり前でないことに最近気づきました。いや、気づかせてもらいました。
だから、こういう方にホントに感謝の気持ちを感じます。
帰宅後、数年前精神的に傷を負った元同僚に電話をしました。
彼からはいろんな話をしてもらいました。
私には彼の話が彼自身、自分に言い聞かせているようにも聞こえました。
そんな彼はボクの電話口の声でボクの状態を指摘してくれました。当たり!
彼は今でもPTSDや不安定な精神状態をもっています。
そういう彼がボクにいろんな話をしてくれるんですから。
病気の経験や知識がなくても、「最近どう?」ってこう言ってもらえるだけで感謝です。

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収穫祭におもう

今日は奄美和光園の園内で農作物を作っている家族(これを和光塾生といいます)を中心にした「和光塾収穫祭」でした。それぞれの畑でとれた作物を出し合って豚汁をいただくという内容。和光塾は奄美市教委生涯学習課管轄です。課の方も今日は参加しました。
Sany0086
今日は頻繁に畑に来られる方々が揃って別の行事と重なって参加できず。なので参加者は、市教委、和光園自治会長と入所者1名。副園長と数名の和光園職員。和光塾家族が数家族。いつもは畑にいる方の参加が少なく、たまにお見かけする家族やお会いしたことのない市教委の方と開く収穫祭にはどことなく違和感がありました。

祭りが終わり畑に戻ると、そこには副園長と妻。「いつもは畑にいる方」、つまり皆に畑作のことを教えてくれる師匠のような入所者、常に耕耘機で畑をならしている入所者、畑にしゃがみ込んで暑い中でも黙々作業されていた入所者、・・・そういう方々が揃って全く祭りに参加していない理由を妻が副園長から聞いていました。

「いつも畑に姿を見せて綺麗な畑を維持しつつ、ウチらにアドバイスやお叱りをくれる入所者の収穫祭不参加」・・・その理由に絶句でしたし、涙が出そうでした。これがハンセン病問題なんだなぁ~と。こういう場面にもそれが表れるんだなぁ~と。年表に記されない、物証として顕れない。そういうものが収穫祭の裏にありました。

ちなみに写真は大根と人参。大根はウチの畑で取れたモノ。人参は副園長からいただきました。真ん中の青い物体は携帯電話。デカ大根と抱き付き人参。よく見ると人参は人が抱き合っているようにみえませんか?だから抱きつき人参。大根はデカイからデカ大根sign01見たままです。

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2008年3月14日 (金)

夢が生まれた!

卒煙して4週間。節約金額8000円超。タバコ代の節約を貯金に見立てて漠然と喜んでいたボクに、タバコの節約金額を使ってやりたいと思うことが生まれた。

それはね、東南アジアか南アジアに行きたい。観光地じゃなくて生活を見たい。
歴史遺産も沢山あって、それを見に行く旅というのも貴重な旅やと思う。
でも、今のボクはアジアの混沌としたトコロで生活をする、その生活が見たい。
ガイドの説明付きで見るんじゃなくて、言葉が通じなくていいから目で見て感じたい。

それがね、今年かどうかは分からん。4月からのボクをボクが読めないのに。
だから、いつ「行ける!」ことになるかは分かんない。でも行ってみたい。
行きたい理由を語り出すと長くなるからやめとく。
でも「行ける!」時が来たら、他のいろんなものをガマンしてでも行くと思う。

だから無駄遣いはできないねbleah

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気持ちの良い時間やった

今日は精神科診察日。病院に入り、外来受付向かい視線を上げて驚いた。
ボクが入院中、部屋で暴れた時にボクの話を聞いてくれた看護士さんがいた。
「夢挑戦の3日前に夢への挑戦権を奪われた」連れ合いさんをもつ看護士さん。

受付するボクに「外来担当になったんです」と彼女は言いました。
ボクは受付を済ませボクはトイレへ。「外来担当になった」ということは・・・。
トイレから戻り、血圧・脈拍の測定。
「外来担当になったということは・・・・夜勤がないということやろ?」と聞くと、
「そう。それがイチバン助かるかな」と彼女は言っていました。
連れ合いさんの話はしない。幼子をもつ看護士さんです。夜勤が消えてよかった。
今日は血圧が異常に高かった。「大丈夫?」と聞かれました。「大丈夫!」。

待合室にいると、入院中ボクにいろんな遊びを教えてくれた看護師さんに会った。
バイク・海・温泉・マンガ・・・娯楽を思い出させてくれた看護士さん。
彼は今、テレビ番組「サスケ」出場を目指している!と。毎日筋トレだって。
「テレビ出るかもしれへんやん!」と言うと「第1ステージはクリアしますよ!」と豪語。
相変わらずオモロイ。そして彼は、もう奄美の海の初泳ぎも済ませていた。
「まだ寒いやろsign02」と言うと「最初はね。でも沖に50mクロールしたら寒くない」と答えた。
喋ってて本当に飽きない。と、ここで診察室へ。「4月に入って行きましょう」と主治医。

会計を済ませ、薬を受け取り、外来受付を見ると例の看護士さんが手を振っていた。
ボクも手を振り返して出てきた。何かね、元気もらった。気持ちの良い時間やった。

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今日は3月14日やんか!

忘れてた・・・。世にいう「ホワイトデー」の日やね。うわ!全く頭になかった・・・・。
ま、「チョコ」いうことで「145」と勝手に番号化して、14日の5日後をボクのホワイトデーということにしよ!。そしたら、あと5日もあるやん!。これで今日慌てることはないわhappy01

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2008年3月12日 (水)

ガジュマルの木

Sany0077 午後。1時間余り寝る。目が覚めたら・・。うつ伏せも苦しい。仰向けはもっと苦しい。だからうつ伏せで1時間。頓服を飲んでまたうつ伏せ。でも~耐えられない!。

家から車で5分。名瀬港が一望できる大熊展望台に(写真)。ガジュマルの木が展望台に沿って高くそびえていて・・・。手足のしびれが始まる中、その展望台からしばらく海を見てました。いろんな思いが心の中で渦巻きながら・・・。

手足のしびれがおさまって、展望台から降りて歩くこと約20分。下って登って・・・。目的地はないんですけど、ただ歩くんです。そしてまた展望台へ戻る、と。もう、この時には苦しさも遠くに飛んでくれていました。天気も晴れてきたりして・・・。

帰りに展望台に沿ってそびえるガジュマルの木から葉を1枚。「ガジュマルさん1枚ください」と言いながら。その葉を手に持って、下り登りの散歩を少し。ガジュマルさんで今日を生き延びることができた気(木)typhoonがする。coldsweats01

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どの面さげておくかなぁ~

今日は職場に行った。今週だと今日の朝イチしかない!と思って。当たりでした。
一応説明しときましょう。明日は卒業式。今日の午前は予行と同窓会入会式。
今日の午後は卒業式準備。明後日は公立高校合格発表・・・というわけです。
サブボスに渡すモノを渡し、貰うモノをもらって。来週以降の話をして今日は退散。

昨日と今日で2件の「送別会」の誘いを受けました。学年部と組合。
善意で声をかけてくださっていることを百も承知で、あんまし嬉しくない。

普通の面で「久しぶりで~す」・・・・まぁ、それでいいんだろうけど。
学年部は2学期後半以降、校外バッシングにもさらされたようで・・。
それを乗り越えられた皆さんと労をねぎらい、別れを惜しみますか?
周囲が私をどう思っているかは、私が休んだ事実がある以上どうしようもないし。

ただ。病気になったこと。これを謝る必要はないな。

気晴らしにウチの畑の木を切り倒してきました(笑)。

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2008年3月11日 (火)

出たよ!貧血!

私は10ml採血注射で貧血になった経験ありです。注射に弱い。血に弱いcoldsweats01
でも鍼灸院のハリは大丈夫!今日も右背中を中心に次々ハリを入れてもらいます。

ところで、今までハリはうつ伏せでしてもらうことが多かったんですね。
今日は、たまたま座ってでした。で、お灸に入った頃・・・「やば。気分悪いshock
と思ったけど、じき治まると言い聞かせ辛抱・・・・・・・できず。きた!貧血ですsign01
「気分悪いです。横になりますshock」と私。鍼灸師さんは焦ったようでした。
「お茶入れましょうか」と言ってくださったので、「お願いします!」と息も絶え絶え。
鍼灸師さん、お湯から湧かしてお茶を入れ、おしぼりと黒糖を添えて私のところへ。

sign01この時、私、不覚にもsleepysleepy深い眠りにありましてconfident。起こしてもらいましたcoldsweats01
私はお茶をいただきながら、採血注射連続貧血体験談をお話差し上げました。
その後はうつ伏せで腰にハリをしましょう!といつものうつ伏せスタイルでした。

鍼灸院の場所の「ド忘れ電話」から「貧血」、「爆睡」とお騒がせな患者でした。
でもこれで背中痛が消えてくれます。そうすると私の調子も回復します。

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健忘症・・これは!やばい?

午後から名瀬郵便局に行きました。なぜならtyphoon、通帳も印鑑も行方不明になってしまっていたからです。数年前の時点で、ATMで手にする「ご利用明細表」に“18行の未記帳があります”みたく書いてありましたからatm・・・・。新通帳は自宅送付されるそうですが、既に見開き3~4ページ、つまり通帳の半分ほどは記入されてるいんじゃないかとsoon・・・・。

ところで、郵便局でちょっと焦ったcoldsweats02
あの・・・カタカナが、すぐ出てこなかった。名前の「フリガナ」に書くカタカナ。
「タ」という字が・・・あれsign02みたいな。カタカナが出てこないのには凹んだsweat02

郵便局の次は鍼灸院に予約を入れていました。
私はここ10年ほど背筋痛持ちです。これまで整骨院はどこに行ってもお友達。
今は鍼灸院に行くことにしています。保険適用外の治療なので高いけど。

ところで、郵便局を出て鍼灸院に向かう・・・またもや、あれsign02
鍼灸院どこだったっけ。予約もしてあるのに・・・。場所が思い出せんsweat02
しばらく屋仁川近辺をウロウロ~。で、分からなくて鍼灸院に電話・・・。
初めての鍼灸院じゃないので、目印を聞いたら「あぁ~flair」です。

実はこの、郵便局~鍼灸院の旅。
「行ってきま~す」と自宅玄関を出て車の前で「おっとガソリン入れなきゃ」
と思い、クレジットカードを手にした。で、「行ってきま~す」と玄関を出て、
「おっと、車の鍵持ってない」と気づいた。・・って、やばいよ。忘れすぎsign03

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2008年3月10日 (月)

写真の整理~笑顔の変化

昨日、写真の整理をした。未仕分けの状態だったし、未現像のままCD入りもあった。
未現像はさしあたって150枚ほど現像に出した。フィールドワークものは次回にした。

なぜかボクの手元には、ボクの生後間もない頃の写真がある。
母にギュッと抱かれた写真の中のボクは、ベソをかいていた。
その写真をみて、今のボクも昨日は泣いていた。

完成したばかりの実家の写真もあった。今はもう築30年を越えた。
ボクの祖父がつくり、親がローンを組んで買った家。
写真に写っている玄関ガラスは今、差し替えられている。
写真に写っている洋間ガラスは今もガムテープで補強してある。
家の中には壁に無数の穴や窓のない窓枠がある。
全てボクが壊した。
完成直後の家の写真をみて、祖父と親に悪いことしたな、と思った。

幼稚園の制服を着たボクがいた。
首から下げているバッグの模様はF1カー。記憶していた。
履いている靴は「GIANTS」。これも記憶している。
庭には、色鮮やかな花が咲いていた。綺麗な自宅庭だった。でも記憶にない。
幼稚園のお別れ遠足の写真には3人の幼なじみが写っていた。
ボクはその中の一人に小5の時、集団でいじめられた。
ボクはその中の別の一人を中2の時、集団でいじめた。
そいつのショボンとした顔は今も記憶にある。
そいつはボクが大学の頃、ヒョコっとウチに来た。「久しぶり~」って。
幼稚園時の写真を眺めていて、「ボク、まだきちんとコイツに謝ってない」って思った。

小学校時代からの写真はボクの手元にはあまりない。
それでも何枚かの小学生時代のボクの写真をみて今のボクは愕然とした。
殆どの写真は笑顔。
けれども「何だsign01この狡猾な笑いはsign02」。
小学校生活を送っているボクは、いつの間にか醜いほど狡猾な笑顔だった。
妻にも見せた。妻にはボクの言っている変化が分からなかった。
でもボクには愕然とするほどの笑顔の変化だった。そして一方で思った。
「醜い狡猾な笑顔の誕生を家族のせいにしてはいけないsign01」と。
それだけは、絶対にsign01ボクにはできない理由が、ボクの中にある。

中学校時代は写真を撮ったという記憶そのものがない・・・・。
ま、ボクの手元にも中学時代の写真はない。見ない方がいいと思う・・・。

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30歳代前半~という時期

「にしおかすみこ」という芸人がいる。私と同じ齢。
彼女は高校時代「水泳部」に所属していたそうである。
卒業後タレント活動を始め、今年で十数年になる。苦節の時期を経てきた模様。
先日、「にしおかすみこ」が高校水泳部の恩師と対面する番組があった。
恩師が「にしおかすみこ」に手紙を読んで聞かせた。「にしおか」号泣crying

ところで番組の司会は、TBSアナウンサー「安住紳一郎」と「大竹まこと」という芸人。
「にしおか」が号泣している時、「安住紳一郎」も号泣していた。司会にならない。
「安住紳一郎」は私より1年年上。ちなみに「大竹まこと」は58歳。
「安住」は数年前、別番組で苦悩する自分自身を涙ながらに語っていた。

「にしおか」が号泣cryingする恩師からの手紙に、なぜ「安住」が号泣するsign02
「にしおか」への手紙だぞsign01と「大竹まこと」も言っていた。
でも、「安住」が号泣するのは私には分かる気がする。

これまた別番組で「島田紳助」が言っていた。
「人生を1時間番組に例えたら、35分頃はストーリーが急展開する時間帯」と。
50歳を越えた「島田紳助」は自分のことをこう言った。
「来週の予告の時間帯。でも、俺、2時間番組やねん」と。
ウマイこと言いよるsmileと妙に納得した。

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1年ぶりに前任校へ。

1年ぶりに行ってきました。今まで夏場以降、人前に出たくなかった、行く機会がなかったので一度も行くことはなかったですね。今回は「行ってみようかな」と思ったんです。私と同じ時期に赴任してきた方々が異動だろう・・・ということも見越して。

校長室・教務室・1年部・3年部・・とまわりました。放課後という時間もあってか、ゆっくりした時間の流れに感じましたが、おそらく今も相当忙しい職場でしょう。

元同僚とお話し、教え子の弟・妹や直接の教え子ともお会いして楽しい時間でした。一方で「あぁ、もう私はここではお客さんなんだな」と実感しました。そんなもんでしょう。

部活動を少し覗かせてもらうつもりが、そうはならずに最後までいました。
部活動を見ていて「指導者の血」なるものが少しだけ騒ぎました。

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鹿児島で唯一撮った写真

Sany0075 私はデジカメを常備していますが、
今回鹿児島で撮った写真はこの1枚sign01
義母と行った回転寿司屋さんです。
「食べましたsign01」って写真。
奄美にも回転寿司はありますよsign01
ところで、ここはアミュプラザ地下1階。
人酔いです・・・。

話変わります。3/8のUm先生送別会。
その様子をブログで拝見しました。Fさんの大学講師就任の報も「おぉ~」と。
Um先生への感謝状も拝読しました。お言葉通りだと思います。

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2008年3月 8日 (土)

白髪が増えたわ!

Sany0074_2 復帰諮問面接に行く直前に髪を切ってもらった。
写真は髪を切る前。頭頂部。
実はここ3年ほど白髪染めで来てたんですぅ~。
素は白髪だらけです。まだ33やぞ。
最近、ヒゲとか鼻毛も白くなってきた・・・。
結構前から白髪は生えてはおったんですが、
ここ1,2年で「バッ!」と増えたんですhappy01
またバッチリ染め直したsign01髪を。鼻毛はムリdown

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分岐点

今日(3/8)は、鹿大Um先生の送別会の予定のはずです。参加はできませんが。
直接Um先生に教えを乞うたことは、私にとって大きな分岐点でしたね。
「学ぶ」という直接的な意味、「学ぶ」ことでの間接的な意味でも大きな分岐点。

偶然のような必然のような分岐点は挙げればキリがない。
道が分かれているわけなので、選択しなかった道が結果的にあるわけです。
「それ(選択しなかった道)を選択していたら、今頃どんなかな?」
という命題は「妄想」としては結構オモシロイwatch

でも、現実には分岐点で今の道を選んでいるわけで。偶然のようで必然であって。
その必然には何らかの意味があって、意味がなくなることにも意味があって。

「大学院に思い出作りに来ているんだったらそんなもんでいいよ」と放られたことのある私。「思い出づくり」程度で選択した道でないことは確かなつもりでいます。

ただ、Um先生の元で学んだことが「大きな分岐点」だと言いながら、この文章を書いている「私」がすでに「思い出づくりに入っている!」と言われそうな気もします。それは否定できませんよね。

今日の送別会がどんな話題になるのか、楽しみでもあります。

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380kmの旅

鹿児島~奄美大島の380kmを往復してきました。
蛇足なんだけど、大阪~静岡間。山口県下関市~鹿児島県枕崎市間。
これが380km。鹿児島県って広いなぁ~。

3/4の復帰面接。無事sign02というか、あっけなくというか・・・ま、終わりました。
面接内容はつまびらかにしない方がよいのでしょう、多分。

面接では私についての資料が少なからずあったようです。
そんな中、復帰面接は「休暇・休職報告会」じゃないんだよね、と思うと面接内容に
所感を述べる意味はないですね。

ただ、見参した立場側から一言だけ。
復帰面接の前日に定時制高校の卒業式に来賓参加して、朝1便で鹿児島入りした
私の上司は面接後、私が空港まで送って行き、すぐ飛行機へ。380kmの往復。
ちょっとかわいそうというか、申し訳ない気がしました。
私は、面接の最後に「大学院では何を勉強したのか?」と問われたので、「命です」と答えました。

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2008年3月 4日 (火)

変な気持ち

昨日、鹿児島に降り立ちましたdeliciousその足で姶良町という場所の温泉spaに。

姶良町は鹿児島市へ通勤できる距離にあるので、区画整理地やベッドタウン化した場所ばっかsign01どこを車で走っているかの状態でしたdash

ところで、昨日は飛行機に乗る時から妙な気分despair

9ヶ月の生活報告に来たみたい。ボク、悪いことしたわけでも、希望して今の状態なわけでもないのに。でも報告。

多分、この妙な感覚は、今を走っている人には解らないと思います。

何もできなかった、しなかった時間の報告をするんだから。変sign01

そして、何だか試されているようで何やら悔しい(>3<)。

だから、昨日の温泉spaでは一人悔し泣きcryingしてました。

でも、今日は今日。肩肘はらんと、あれこれ勘ぐらないで行きますsign01

さて、出発準備かな

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2008年2月29日 (金)

小さいけど大きい「嬉しい」

昨日、長男の小学校はPTAだった。
教室には「1年間で1番の思い出」が写真付きで掲示してあったらしい。
入学式や学校行事を思い出に挙げる子が多い中、
うちの息子が「お父さんと行った釣り」を写真付きで1番の思い出にしていたらしい。
年間の半分以上どこにも連れていけなかったこの1年。
「週末の家族との時間のために平日を耐えている」と書いていた5月の自分のブログ。
家族を放ってでも「消えたい」と思った時期が何度もあったこの1年。
30人の児童のうちのたった1人の思い出。だけど・・ボクは嬉しかった。

昨日、私にも『歴史地理教育』3月号が送られてきた。
アマノジャクさんのインタビュー記事と私の実践記録が偶然同月号に掲載された。
ボクは11年前、大学出たてホヤホヤの頃、アマノジャクさんと飲んだことがある。
その後プクプクさんや山下町さんとも出会い、大きな影響を受けるのだが、
アマノジャクさんは11年前の時点から、ボクにとって雲の上のような人や。
その後、九州大会でペアを組んだり、今回、同じ雑誌に偶然にも寄稿していたり。
それで肩を並べたなどとは到底思ってない。ボクはこの必然と偶然が純粋に嬉しい。

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明日はやばいかな・・・

今日は精神科診察日。ほどなく終了。支部に行った。書記長がいらっしゃった。
話す目的があって行ったのに、話し始めると脱線に次ぐ脱線。元々の話忘れるほどsweat01
だいたい脱線してしまう犯人はボクですcoldsweats01「そうそう!そういえば・・」のパターン。
え~、これで3時間話しました。いや~書記長も暇じゃないでしょうにsweat01

帰りの車。何気なく数年ぶりにB´zのアルバム「LOOSE」をセットして聴いた。
1995年発売。ボク21歳。当時お気に入りのアルバムだったんです。
今、33歳。21歳の時に思いもしなかった歌詞の解釈が始まった。
例えば、曲「ザ・ルーズ」
noteOH YEAH  あたまがいたい何も決まらない 誰かが僕をせかすよ
noteでなんで今すぐ決めないといけないの まただちょっとルーズにやらして
noteいやなんだってば考えたくない こんな僕でもここじゃセンセイ
noteなにがそんなに大事なんでしょう 愛しい愛しい僕なりのタイム 
  ゆっくり見極めさせて 
例えば、曲「love me , I  love  you」(シングルあり)
note love me けちってないで ボクはきっともっと愛を出せる
note I  love  you おごらせてるだけじゃ そのうち誰もいなくなるよ
note Let´s  give  it  away けなしてないで たまにゃ海も山も人も誉めろよ
例えば、曲「LOVE PHANTOM」(シングルあり)
noteふたりでひとつになれちゃうことを気持ちいいと思ううちに
note少しのズレも許せないせこい人間になってたよ
例えば、曲「キレイな愛じゃなくても」
noteきみを全部欲しがることはパーフェクトな愛じゃないって本には書いてる
note空を舞う鳥を撃たないで
noteキレイな愛じゃなくてもいいからもう君が欲しい

「愛」が入っているからラブソング・・。そう思っていたのは21歳。
「キレイな愛じゃない」のは、浮気だと思っていたのは21歳。
「love me」と「I love you」が単に対義語なだけでないことに気づいたのは33歳。
2人で1つになることが、性的ズレや恋心のズレを描写してないのに気づいたの33歳。
きみを全部欲しがることが恋愛論じゃないことに気づいたのが33歳。
「キレイな愛じゃない」のが浮気のこととは言えないことに気づいたのは33歳。
君→私だったり、愛≠ラブだったり解釈できると今のボクには面白い歌だった。
ということで、ドライブで2時間熱唱。ちなみに詞を書いた稲葉さんが当時31歳。

帰宅して連れ合いに今日の報告~脱線のこと、熱唱のこと~で1時間しゃべった。
疲れた・・・・。2時間熱唱karaoke中、車窓ガラスがボクの熱気で異常に曇ってたしdash
明日、ハンセン病問題学習会なんだけどな・・。ま、明日を心配してもしゃーない。

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小さな自慢

昨日、突然「ジョギングしてみようかな」という思いが頭にうかんだ。
で、シューズを履いて10分間走った。
感覚的に 1km/6分くらいだったと思う。つまり、走ったのは1.6kmほど。
ただそれだけ。でも10分走った後、少し涙が出ちゃった。

ジョギング自体が去年の5月中旬以来。だから約9ヶ月ぶり。
病気休暇に入った去年の7月17日から約7ヶ月ぶり。
病気当初はドクターストップだった。
1月には走っても問題ないこと、知ってたけれども「恐かった」。
「呼吸が乱れるかもしれない」「疲労が辛い抑鬱症状を招くかもしれない」、という恐怖。

1月中旬から室内トレはしていたものの、外を走るのはヤッパリ違う。
奄美は陸上選手の合宿が多い。だからランナーを頻繁に見る。
「いいなぁ~」「いつかは、また走れるようになるよな」と羨ましくランナーを見てきた。
昨日。たった10分だけ。でも走れた。今日、抑鬱症状はない。小さな自慢でした。

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2008年2月28日 (木)

復帰1ヶ月前!

3/28。私の復帰予定日。もはや「焦り」「不安」とかの段階を凌駕しちゃってます。
つまり、そこまで頭を使って考えることすら「面倒」という・・。ま、いいでしょうhappy01

来週は県庁!3/4復帰面接。16階の「リラックスルーム」に来い!と連絡アリ。
いろんな部屋があるんですねぇ。「リラックスルーム」って何に使ってんのかな?普段。
3/6・7が公立高校入試やったかな。3/13卒業式。

ところで、今年ウチは軒並み私立不合格。私立情報網が奄美にも来てるか?
それとも「非常識」に気づいてない生徒が素性を入試の場でもいかんなく発揮したか?

ボク「高校全入」反対派です。ホントに「高校行きたい!」子は、私立不合格に相当ショックを受ける。自棄になる奴も出る。でもそこで、話が通じて危機感持つ子には、コチラも全身全霊支援です。でも最後まで「とりあえず出願するわ」レベル生徒まで「高校全入」?それ、学歴社会迎合でしょ?高校と大学が衝突している「大学入試」問題と本質は同じやん。旧制高等小卒や新制中卒者でも世に出てるの山ほどいますし。ま、来週公立入試ですね。

蛇足ですが、ボク「総合的な学習の時間」不要派、「選択教科」必要派です。
これも教組と見解が逆です。論より証拠!1000人規模の中学校の「総合」を見よ!
でも、「選択」消滅の方向なんだよなぁ~。地味ながら味のある「選択」。モッタイナイ!

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2008年2月25日 (月)

久しぶりの太陽(ティダ)

今日は太陽にお目にかかることができました。sun奄美では貴重・久しぶりです。
今日は職場と支部と行きましたが、用事のある人はいないか出がけという・・down
仕方ない。天気がいいのでドライブで海でも見にいくかupwardrightと、今の私はならない。
shadow(キツイ)状態を脱しつつあります・・・が、今日ドライブ誘われても断っちゃうだろう。
職場ではボスと20分くらい話をした。
「県教委での復帰面接でボスは何を聞かれるんだろう?」とボス自身が言った。
「復帰後の指導とか支援とか話しといたら、いいんじゃないすか?」とボクがアドバイス。
何だかヘンテコリンな会話smile
ボスとの会話の中で「最近、走ったりしてるの?」とボスに聞かれたので、
「走ってますよsign01run体調に合わせて、テレビの前で10分とか30分とか・・・tv。」
「体調に合わせてな・・・・」とボスのお言葉。  
多分ボスには「テレビの前で30分走っているボク」が想像つかないんだと(笑)。
家族以外と会話するの、何日ぶりかなぁ~。そう思うと貴重な会話やったんやjapanesetea

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2008年2月24日 (日)

まだ呂律がまわらん!

今日は鹿児島市唐湊幼稚園の音楽発表会。去年は息子が出演しました。
卒園者に長渕剛さん、辛島みどりさん。県マーチングフェスティバル20数年出場。
職場体験学習の担当者になって、発表会前の練習を見学に行きました。
県コンクール前練習のような緊張感に、中学生もビビリcoldsweats02でした。
ま、それほど音楽活動に力を入れている幼稚園。次男も行かせたかったcoldsweats01

ところで、まだボクは呂律がまわらない。そして眠いsleepy。真っ直ぐ歩けない。
でも寝過ぎて、寝ると腰がイタイ・・から机にベト~ッとしてます。
映画・新聞・本・・・・興味湧きません。ブログの思いつき書き込みくらいなら・・・・。
いやいや、こんな書いてるけど、ホントは結構シンドイんですよ~sad

薬と脳と生活リズムが、グッチャグチャですから~bombimpact

あっsign01昨日の「フルスイング」最終回。面白かった。原作には敵わんけどbleah
来週からの「刑事の現場」が面白そうslate。「現場」を描いてネup期待してます。

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2008年2月23日 (土)

ODと酒でグダグダ(ハハ)

昨日、結局午後4時から午前0時過ぎまでビールとコーヒーを飲み続け、パソコン前でボ~ッとしてた。夕飯を少し食べて、昼・夕・眠剤プラス頓服を飲んで、就寝。

今朝午前9時目覚め。起きあがっても「今日はムリsign01ムリsign01」と何もせず自室へ。
部屋で「遺書書こう!」と思って、筆書き。「もう十分生きてきたやろ」なることを訥々と、
集中力がない、フラフラ状態に耐えて何とか完成sign03させた。ここで午前11時30分。
永遠の眠りの前に、人間の欲求としての睡眠欲がすごくて、ここで寝たsleepy
目が覚めると午後7時半前。まともな夕食を久しぶりに食べる。

2/23は17時間睡眠。起床後も呂律がまわらないんですね。話せない。coldsweats02
やっぱり酒と薬の併用はダメです。昨日の薬の飲み方もオーバードーズ(OD)です。
遺書は日付を開けて保管しておくことにします。「こんなこともあったなぁ」って。
この記事を書く今も、まっすぐじっとしていられない。でも眠くない・・・。寝過ぎたcatface

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2008年2月22日 (金)

生きづらいなぁ~

「大人になるほどなんでこんなに生きづらいんだろう~?」

上のテーマでスクリーンセーバーを見ながらボ~ッとgawk。午後4時から。
「競争」「講話」「同僚性」「予備校」「脳」「保障」「不安定」「周囲」・・・・次から次へと、他にもいろんなキーワードが浮かんでは消え、浮かんでは消え。結局まとまらんsign04
気が付けば、缶ビールとコーヒーで晩飯も喰わずボ~ッと。パソコンの前で6時間経過。
6時間もビールとコーヒー飲んでちゃ、薬が効かなくなっちゃいますぅ~wobbly
ということで、今日は他にも考えたいことあったけど、もう「おしまいend」。ハハcoldsweats01

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2008年2月21日 (木)

え~何度目かの卒煙を迎えます

え~昨年9月8日に卒煙した私。11月26日くらいまで一服もしていませんでした。
この間、喫煙していたと仮定すると、タバコに費やした金額は約23,400円。
つまり、約23,400円節約したわけです。

しかし、11月26日くらいから12月25日くらいまでニコチンの世話になって。
この間のタバコ額、約9,000円。差し引き節約額は、約14,400円に。
それでも正月のニコチン中毒は勘弁と頑張りまして、1月15日くらいまで禁煙。
この間、節約できたと仮定されるタバコ金額が6,000円と。総じて約20,400円ほどに。

はたまたしかし、ここからニコチンのお世話に随分なりまして・・・・2月16日まで。
この間のタバコ額、約9,300円と。節約額が約11,100円ほどになってしまった。

けれども、まためげずに2月16日16時49分より卒煙に入りました。
今度こそsign03。ただ今節約額が、約1430円ほど。総じて約12,530円。
必要のないニコチンに多額の援助をしてましたからねぇ~shock
卒煙4日目が終わろうとしています。この時期が結構難儀なんです。
でも、がんばりまっしょう~up

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2008年2月16日 (土)

「久しぶり」と「また」です。

ここ1週間ほど、ぜんそくが出るようになりました。10年以上出ていませんでしたが。
特に寝ている時にぜんそくで目が覚めます。午前3時とか。
私は床に寝ると埃のせいかぜんそくの出ることが多いのでベッドに寝ます。
2階の寝室は湿気や埃が溜まりやすいようで、妻が懸命にベッド下の埃から
窓の桟まで埃を拭き取り、木柱にはカビ対策にニスを塗ってくれています。
「ぜんそく」は、もう過去のものかと思っていました。久しぶりです。

そして、また増幅してきました。苦しみが。少しずつ来てるのは分かってました。
私は孤独は好きですが、今、私は1人で周囲が全て赤の他人のように思えます。
私は孤独は好きですが、いつまでもひたすら孤独で誰もいなくなるのが不安です。
本当は何もしたくないのに、こうやって文字を打ちまくっている自分が不思議です。
「苦しみから逃げてぇ」と思いながらキーボードをたたいています。
でも僕のいう「苦しみから逃げてぇ」は帰って来られないものを指しています。
だから逃げられないんです。それがまた苦しい。だから逃げてぇ。
これの繰り返しです。

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2008年2月14日 (木)

結婚10周年!

Sany0048 今日2/14は私たちの結婚記念日。
結婚10周年です。
「もう10年か・・」って感じです。
と、こういう記事を書こうと思っていたら、さっき「ピンポ~~ン」と自宅の呼び鈴が鳴りました。宅急便でした。「また妻が通販で何か買ったのか~?」と思いつつ、差し出し人を見てビックリ!私が鹿児島市で6年間お世話になった保護者からでした。

「今日はバレンタインデーだから」と思って、ありがたく封を切ったとき、オドロキ!のあまりにホントに引っ繰り返りそうになりました(笑)。それは、バレンタインチョコと一緒に私たちの結婚10周年を祝って、保護者さん自らデザインしたペンダントとピアスが私たち夫婦に。そして昨年受け持った3年7組の教え子たちの写真が同封されていたのでした。

「俺、結婚10周年とか結婚記念日とか言ったっけな?」と思いつつ、しばし呆然・・。

いやぁ、私は3人の娘さんたちの誕生日に“おめでとう”程度しかしてこなかったし、私が鹿児島市にいる間、仕事の上でもかなりお世話になりました。そして、飲み会の度にベロベロ泥酔になる私をキレもせず何度介抱してもらったことか(笑)。私の大学院&担任という時期をはじめ本当に助けられてきた方、そしてリアルに物事をみて深い洞察で話をしてもらえる保護者(私たちの職業はこういう保護者に多くの示唆をもらうんですね)、そしてサプライズイベントのお好きな方(笑)。今回のサプライズにはかなり驚きました。

今夜は自宅でささやかなパーティーです。家族で御礼の声を伝えようと思います。

そして、私は妻へも御礼を伝えようと思っています。「もう10年か・・」と思う一方で、少し考えてみればホントに沢山のことがあった・・・子ども・病気・喜び・悲しみ。妻が泣き悲しむ日々には「俺は泣いちゃいけない」と思っていましたし、今はその逆のことが現在進行形で進んでいるかもしれません。2人で、そして子ども達と平凡な毎日を、時には旅行に出たりしていろんな時間を共有したなぁと思います。彼女にも随分助けてもらいました。

でも、妻への御礼は「10年分の謝罪」に近いかもしれません(笑)。

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ダイニングテーブル

Sany0046 我が家のダイニングテーブルには昨日まで桜が数輪挿してありました。今日は模様替え。白い花は妻がパートの帰りに道端で摘んできたもの。紫の花は次男が幼稚園で摘んできたもの。それらを組み合わせて新しい花飾りがダイニングテーブルに置かれました。

私は昨日から少し気持ちに波が出始めて悶々としています。きっかけは2/22に県庁で復帰諮問会があるとの連絡を受けてから。「面倒くせぇ」という気持ちと「全くケアも支援もなかったくせにいきなり諮問面接かい!」という気持ちが交錯して。いくつか諮問予想をしては揚げ足をとるような答えしか浮かんでこないし、「諮問予想や~めた!」と思っても悶々悶々・・・。

そんな中で妻と次男が持ってきた花をしばらく眺めてたら写真に撮りたくなりました。

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2008年2月12日 (火)

家族でカラオケ!

昨日、妻が「カラオケ行かない?」と朝から提案。
最近、カラオケ行ってないし、歌の練習になるし。「行こう!」と午前10過ぎ出発!

が!カラオケって朝から開いてないんですよ。考えてみれば朝から行かないもん。
奄美市内で4件カラオケ店に向かった結果、1番早い開店で午前11時半。
ということで、11時半にカラオケスタート!
トップバッターは長男。歌は「ヤッターマンの歌」。長男はカラオケ好きです。

ところで最近のカラオケ機器はハイテクです!機械に自分の年齢を入れ、自分が「○○才」の頃流行した歌を検索って機能があるんです!私は20才の時の歌は殆ど歌えることに気づきました。懐かしい~!と思いながら歌いまくりです。

最近の歌にもチャレン~ジ!歌えたり歌えなかったり・・・。
歌えなくても家族同士なので、「歌えないや」と思ったら即演奏中止できます。
途中には、子ども達に「エサ」を与えておいて、夫婦がひたすら歌いまくる!
最後は次男が「どんな色~が好き?」「あか」「赤い色~が好き」を歌って終了!

2時間じゃ足りない!と思うほどでしたが、帰ってきたら結構疲れてた(笑)。
帰ってきてから2時間の倍、4時間寝てました(笑)。久しぶりのシャウトでした~。

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2008年2月10日 (日)

そんな私はいません

ウチでは2年生の5月に修学旅行を実施しています。
数日前、風呂に入っているときにふと、
「3学期は修学旅行に向けた事前学習の計画だったような・・・」
「資料準備とか、ホントは僕の仕事だったのかな?ま、しょうがない」
と思って同僚にメールしてみました。すると予想通り事前学習中だったようで。
それもまさにネタが尽きた・・・と学年部で話していたところだったらしく、
「夏服の少女たち」、「赤い背中」のDVDを職場に渡しに行きました。

職場に行く事へや生徒と会うことへの抵抗はなくなりました。
全体職員室で同僚と30分ほど話をして帰ってきました。
自分はここで働いているという事実を受け止めたら、
職場へも人間へも抵抗はない、同じ思いを悟った!?同僚とそんな話をしました。

今月末に職場復帰諮問会があるようです。特に心の準備など考える気はないです。
現場復帰が、職員室での同僚との平和な会話の延長だとは思っていません。
でも、「将来の不安を考える私」は、今、私の中にいません。

おそらく私にとってこれが「うつ」に関する最後の本かな・・・と思って購入した
大野裕『「うつ」を治す』(PHP新書)。本にある「心理的治療」の内容は、
これからの私のヒントパターンみたいなものかな、と思いながら読みました。

2月に入って気持ちが安定してきたような私。「この頃が危ない!」とも言います。
しかし、「この頃が危ない」としても「将来の不安を考える私」がいませんから。
現場復帰を楽観しているわけでなくて、「考えてもしょうがない」という・・・・。

最後に職員室に並んでいた『月刊生徒指導』に私の寄稿が掲載されていることを
上司に伝えたら「おお~」と驚いていました。ホントに並べられていただけです(笑)。
文科省指定人権教育の研究公開を先月行った職場に、
人権教育をテーマに雑誌寄稿していた人物が堂々と埋もれていたんです(笑)。

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2008年2月 5日 (火)

高くない・高いとは・高さ・高い

Sany0035以前紹介した葉ニンニクの「フル」。畑に植えてから放ったらかしに近かった、うちの畑でいうと「あまり期待度の高くない」「手のかからない」存在でした。それが今、スーパーに行くと写真ほどの量で198円!それなら、うちの「フル」を総動員すると数千円に・・・ニヤ。そんなに「フル」が高いとは知らなかった。

話変わって、昨日私、自宅2階の階段から1階まで滑り落ちました。その数6段ほど・・イタ。踵から滑ったようで踵、腰、腕、後頭部をガタガタ・・とぶつけながら1階へ。ホントはかなり痛かった・・のですが、滑り落ちた1階の私の眼前には、息子とその友達がおとなしく遊んでいまして。自損事故を起こした私は、「何でもない。大丈夫!」と言いつつ2階へ上がりました。その後2階で悶絶してました独り(笑)。階段6段とはいえ、滑り落ちると「高さ」を感じます。

最後に、息子の友達が帰った後、また兄弟喧嘩・・。しょーもない理由なんです。私が仲裁&説教していると、私の話を聞く長男は口がポカ~ン状態。(普段はチャック全開)。説教後間もなく長男は39度近い高い熱があることが判明。すぐ近くの大きな病院へ妻が連れて行きました。が!2時間近くして帰ってくると、なぜか?妻が興奮(フガフガ状態)!息子は穏やか・・。あれ?高熱だったのは息子だったはず・・と思うほど妻が興奮/憤怒してました。聞けば、担当医師の態度が相当に嫌みアリ、医療倫理無視の状態だったようで・・。今朝には息子の熱も下がり学校にも行きました。ところで昨夕、39度近い熱で病院に向かう途中でも、息子は「ヤッターマン」を私が録画してくれているかの方が心配だったようで・・。当然、録画してました。なぜなら、私が見たいから(笑)。

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2008年2月 3日 (日)

節分~大量の鬼退治!

Sany0033_2ホントに最近、奄美は晴れません。私の腕時計は太陽電池。電池が充分量を切りました。今日は幼稚園のバザー。雨は降らんが寒い・・。我が家は全員マスク装備でバザー参加。夜は節分行事!鬼に豆をまきます。
ところで、我が家の鬼役は相当の罵詈雑言を浴びせられます。写真の鬼には「ワガママ言うな」「泣き虫」は序の口。「挨拶しろ」「鼻くそ喰うな」他多数。
写真で豆を投げてる人も鬼役をしました。「朝一人で起きろ」なんて序の口。「いつもズボンのチャックが開いてる。閉めろ!」「靴下が汚い!どこを歩いている?」他多数。そんな罵詈雑言でも子ども二人はニコニコ!
大人2人(私たち夫婦)は鬼役を拒否しました。「鬼役をしちゃうと凹みそうだ」と。
これで、お兄さんの制服ズボンのチャックは明日からピシャリ閉まっているでしょう。
これで、弟さんはワガママも言わず、鼻くそをほじって食べることもないでしょう(笑)。

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2008年1月29日 (火)

今日も雨が降ってくる

今日も奄美は日中くもり。夕方から雨が降ってきました。
今日も重~い鉛のようなものが胸のあたりでモヤモヤ動いています。

昨日、「かごしま歴教協(歴史教育者協議会)通信」が届きました。
今日、昼飯喰いながら読んでました。
Yさんをはじめとする九民研大分大会参加記(分科会報告)、Sさんの映画で社会認識を深める選択社会実践、「かごしまの戦争遺跡ガイド(仮称)」発行計画etc。

誌上で次々に展開されていく創造性や実践に行動。
一方で、止まっているというより「退化」しているような私。

「もうええわ。何もかんもいらん!」
私にこう「思わせるもの」があることは分かっていても、この台詞は
投げやりなのか、ジェラシーなのか、疎外感なのか、何やわからん。
でも、本当は羨ましくて、すげぇと思って、歯がゆいんだな。

重い鉛を引きずりながら気分転換に畑へ。畑の石ころ拾ってまわりました。
明日も奄美は雨だと、畑でおっちゃんが言っていました。
また空から雨粒が落ちてくるんかい。

雨粒が言ってる。
「苦しいのはお前だけじゃない!」「俺だって頑張ってる!」
こんなのがザーッと降ってきてるような気がした。
雨粒の言に切り返したろうかな、と思ったケド、止めた。
自己心酔と優越感に切り返しするのは時間のムダだ。

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2008年1月28日 (月)

「寝て」「起きて」「寝て」

今日は昼間の殆どを睡眠に費やしました。理由は3つ。
①昨夜午前1時就寝。午前4時目覚め。5時起床。
②1日中「おっくう感」がしていたから
③昼間、「不安・いらだち」があったから

①について。生活リズムを正しくしましょう。十分睡眠がとれて、朝目覚める。これが自分を元に戻そうとする自分への課題だと思いますから。そして、生活リズムを正しくできれば次の行動も生まれてくるでしょうから。
②について。何もしたくない時は何もしなくていいと思います。それから、言葉に上手く表せない気分のモヤモヤが続きました。だから1日中寝てました。
③について。一人で昼飯をとりながら来月にある「復帰諮問委員会」のことが頭に浮かびました。当局が私と職場の長に面談を行い、私が復帰可能か諮る場のこと。面接する人は「うつ病」に関する本の一冊でも読んでいる人なんだろうか?職場の長は多分一冊も読んだことないだろう。話していて分かりますから。職場の長にそれ言わなきゃ!と思うと、「読んでもいないのか」という苛立ちと病気への理解なき人が私について様々な判断を下すことへの不安が起こる。

精神科医の笠原嘉は、うつ状態を「不安・苛立ち感」「憂うつ感」「おっくう感」の複合体験であり、単なる「気の沈み」ではないものが一定期間続くとしています。私の場合、一定期間の間隔が短くなってきています。でも繰り返しやってきます。

今日は寝てばかり。
こういう日に見る夢によく出てくるシーンがあることに今日気づきました。
それは、「喧嘩の夢」。
今日は祖母と父相手に喧嘩していました。感情的になって怒鳴ってるんです。私が。
夢内容は“片づけをしなさい”と私に厳しく言う祖母と父。
“お前も片づけてないやないか。なんやその言い方”と反論する僕。

なんだコレ?

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2008年1月23日 (水)

12/24日記~退院して3日が過ぎ

退院してから3日が過ぎた。退院当日、自宅の2階へ上がる階段を昇降するのに膝がガクガクするほど弱っていた私の身体は、今、階段の昇りは気にせず昇れるようになった。でも、降りる時はまだ手すりがないと実はコワイ。病院で階段を歩くことがなかったから。

一昨日の就寝が遅かったからか環境の変化からか気分は冴えません。何より「どよーん」とした暗いものが心にあって、何を見てもおかしくない。テレビ間近でお笑い番組を無表情で観ている私。そんな私を笑っている妻。子どもたちは、オセロ・ダイヤモンドゲーム折り紙・DS・Wiiと次々に遊ぼうと誘ってくれる。相変わらずWiiをすると指が痛くなる。力は入れなくても動くようにセンサーがあるのに、つい力が入って・・・・。多分Wiiをしたことある人はこの意味が分かってもらえると思います。テニスゲームも手首でラケット振れるのに、ついスマッシュを打とうと思うと「ブン!」とマジに振ってしまう・・・・。

本屋にでも行ってみるか!と本屋に行ってブラブラ。読みたいと思っていた本も置いてあったが、買わずに帰ってきた。「買いたい」と思わないから。実は本屋に行ったのは、ちょっと一人の時間が欲しかったのかもしれない。

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12/20日記~ずばり指摘!

明日私が退院することを聞いた72才の⑤さんが話をしてくれた。

「二度とここに帰ってきちゃいかんよ。先生は生徒のことで気がおかしくなって、ここに来たんじゃろ?自分と自分の家族を大切にせにゃ。よからんことをする生徒のことは、その家族に任せなさい。先生もせにゃならんことがあるやろうけど、その家族に任せりゃいいんじゃ。生徒の親の一人でも面会に来たかい?先生が損するだけじゃ。自分と自分の家族を大事にせにゃ。」

私は⑤さんに私の詳細を話したことはない。でも、ここまで⑤さんの言うことはズバリだった。本当にその通りだと思った。ここまでズバリ言い当てられたことが不思議なほど。そして⑤さんは言った。

「ここに来てええ勉強になったじゃろ」

と。私は「ハイ」と答えた。

「分からんことをいう先生には、この病院で一ヶ月入院してこい、って言えばいい。勉強になるから」

と言ってくれた。本当にいっぱいのことを教えてもらったし、自分でも考えた。普段一人で足をブラブラ揺らしながら座って考え事でもしていそうな⑤さんには、今考えると本当にずばり指摘されたことが多い。私の倍以上の年月を生きてきた⑤さんの一言は鋭かった。

「ここは鳥かごみたいなもんじゃ。いや、刑務所かな。私も2度とここには来ん。」

と言った。患者は病棟から出て散歩するにも許可を得、外出や外泊の際には特に入念なボディチェックを受ける。それが⑤さんにはそう思わせたのだろう。

とにかく⑤さんには脱帽だった。

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12/20日記~明日退院。

入院中の最後の診察だった。予定通り明日退院だ。日常生活を送ることで気分の落ち込みにどうやって対処するか、処理していくかの訓練に入ることになる、と退院の意味を説明してもらった。仕事のことを考えたり、行動すると何のための休みか分からなくなってしまうので、入院中のような生活リズムを続けていくことを指摘された。
7~10月までの私は、何のための休みか分からない生活で薬だけ服用していたように思う。今日の診察の言葉はしっかり胸に刻んでおきたい。
年末に入り、退院が続いている。一昨日、昨日、今日と一人ずつ退院。私が明日。27日と29日に退院が決まっている人もいる。人のことをこう言ってはいけないが、「大丈夫カナ?」と思う人も退院していく。新年を自宅で迎えたい思いもあるのだろう。いや、人のことはもういい。

さて、午後から最後の院内散歩に行ってこよう。今日は天気がいい。陽の光を浴びて、思い切り外の空気を吸って、鳥のさえずりや木々の揺れる音を聞き、山の紅葉を見ながらゆっくりしたペースで散歩に出かけてこよう。

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2008年1月21日 (月)

12/20日記~夢の変化

昨日、夢をみた。新幹線に乗っていた。それもなぜだか同じ所をグルグル回る新幹線だった。遠心力でG(重力)がかかるやつだ。でも、よく考えるとおもちゃの新幹線がレールの上を何周もしているようでもあった。私の行き先は東京だったと思う。何周もまわっているうちに「まだ着かないのかなぁ」と何回か独り言を言っていた。しばらくするとグルグル回らない普通の新幹線になっていた。それでも「まだ着かないのかなぁ」と言っていた。そしてやっと着いた。降り立った場所は、これまた何故か久留米だった。私の出身地。そして、そこには母が待っていた。私は重い荷物を肩からようやく降ろすと、それは剣道の防具だった。ここで目が覚めた。

私は今までここ数年の間、何かに追われる夢ばかりをみていた。それが獣だったり人だったりした。とにかく走ったり、車を使ったりして逃げる夢だった。たまに逃げ損なったりもしたが。

だから、昨日の夢は今までと違ったわけだ。何かに追われる夢から「まだかなぁ」と待つ夢だった。ゆっくり過ごして退院を待つ気持ちが夢になったのか?。不思議な夢だった。

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12/19日記~2人の死

今日、私は滅多に見ることのない女性誌を自分の部屋に持ち込んで読んでいた。大学院在学中に過去の婦人誌を文献として見たことはあったけれど。
なぜ私がその女性誌/女性セブンを手にしたか。それはドリカムの吉田さんが、なぜ夫の死から3ヶ月後にアルバム発売したのか、そして亡き夫への詩「AND I LOVE YOU」の歌詞が出ていたからである。12/11に書いたように1分50秒程の曲。詩は14行。レコーディングでは一行歌う毎に涙していたという。私は11月頃から急にドリカムが聴きたくなった。前から好きではあったけれども。ホントにホントに涙を流しながら詞を作り歌った曲だと思う。
私が女性誌を手にした理由はもう一つある。それは、お笑いコンビ「カンニング」の中島さんが急性リンパ性白血病で亡くなって明日で1年になる。中島さんは2年に渡る闘病中に6冊の日記を書いている。遺言として「この日記を家族の宝物にしてほしい」と言っている。その日記をもとに妻、真奈美さんが手記を出版する。おそらくその日記には闘病そのものは勿論のこと、自分の病気のこと、家族のこと、自分自身のことが書いてあるんじゃないかと思う。そして「生」と「死」についても。病と向き合う以上、自分を見つめるだろう。「生」の可能性が限りなくゼロに近いと宣告された以上、家族のことを書かないはずはないだろう。そして、そこには気持ちの揺れというか変化する場面があると思う。中島さんは闘病を2年続けた。私に彼の気持ちがどれだけ理解できるかー分からない。病名は違うが、闘病生活が続くことに私も変わりない。でも、「病と闘う」とかを僕は思っちゃいけないのかもしれない。僕の場合はそうかもしれない。

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12/18日記~肩の荷を降ろして

早速、看護士さん宛てに書いたお礼状を看護士Cさんに渡した。しばらくして看護士Cさんが私への部屋へ見えられた。「肩の荷を降ろして肩肘張らずに過ごしていけるといいですね」と言ってくださった。それは、私が12/9に書いた「虚像の私」をずばり指摘されているような気がした。虚像中毒にかかった私を「私」に戻す。弱いところを認め、いらないプライドを捨てる。「私」のままでいる。そうすると楽だろうと思う。いいお返しをいただいた。

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2008年1月19日 (土)

12/18日記~違いは気づくものだ

今、入院中にお世話になった看護士さんにお礼状を書いている。医師や看護師にもいろいろな方がいる。私のいた病棟の医師や看護士さんは親切な方ばかりだった。ある本に出ていた“病院選びのポイント”に合致する施設とスタッフだったと思う。そんな中、全ての看護士にお礼状を書いているわけではない。本当にお世話になったと感じる方に書いている。そういう方は“自分のことを話してくれる”そして“私のことについて話してくれる”方だと思う。カルテをみて私と話すか、私をみて私と話すかは、その違いに気づいてしまう。なすべき仕事はしているが、やっぱりその違いに気づいてしまう。かと言って私だけに贔屓しているわけではない。でもそうした違いは感じ取られるものだと思った。
私がお礼状を書いている方は、私に考えるきっかけを自らの体験から語ってくださった方々であり、沈んでいる私に声をかけてくださる方々だ。そして私は考え、思いをうちあけ、時には涙を流し、私を落ち着かせてくれる。やっぱり“違い”は肌で感じるものだな。

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12/18日記~走る・信じる

昨夜11時就寝 今朝6時30分起床。 7時間30分睡眠。
今、タバコ室で⑤さんと話をした。退院にあたって私に「気を遣いすぎるなよ」と言ってくれた。「人のことを言わない。聞かない。見ない」。72才の⑤さんがおじいから聞いた教訓だそうだ。これからの私に活かしていける言葉だと思った。自分なりに解釈して。
12/7の日記に「この病棟には繰り返し入退院をしている人も少なくない」と書いた。12/12の日記には「病棟にいる人は生活保護を受けるなど低所得者が多い」と書いた。この2つが実は大きな繋がりをもっているという裏の事情を⑤さんから聞いた。「だからここは先生のいるところじゃない」と⑤さんは私に言ってくれた。
他の人のことはどうでもいいが、私は私と向き合いたい。まず自分と。この病気を治す気持ちと今の自分を認めて、信じることによって。
そういえば、昨日は3ヶ月ぶりに走ってみた。走りたくなったから。距離にして300mくらい。50%の力で。息があがった。走った後はグラウンドに横になって休んだ。気持ちよかった。最近読んだ本。ユゴー作『レ・ミゼラブル』、オルコット作『若草物語』。どちらも子どものための世界名作文学シリーズを読み、「大きくなったら翻訳か原作を読んでね」というメッセージになっていた。特に『レ・ミゼラブル』に登場するジャン・バルジャンは何故去ってしまうことを決意したのか気になった。他に椋鳩十『片耳の大シカ』。今、佐世保での銃乱射事件のことが毎日テレビから流れている。私は狩猟目的の銃所持は許可しなくてよいと思っている。狩猟生活時代ならいざ知らず、今さらあれほどむごいことをする趣味はない。『片耳の大シカ』は、この私の考えとも繋がっていると思う。他に網野善彦『日本の歴史を読みなおす(全)』。以前読んでいたが、文庫化されたものを読み直した。『続・日本の歴史を読みなおす』に出てくる、中・近世における農本主義と重商主義の政治・宗教的対立は胸躍るような面白さだった。

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12/16日記~私の妻への思い

夕食後、妻に電話をした。どうしても声が聞きたかったから。
子どもの話や畑の話をした。冗談を言ったり、子どもの幼さにお互い笑い合った。すごくすごく幸せな時間だった。楽しかった。
数年前には、卓球対決したり(妻は中学1年時卓球部でした)、サッカー対決したり(妻は女子サッカーしてたんです。県選抜で国体予選に出たりしてました)、フリースロー対決(妻は中学2・3年時バスケ部でした)したことを思い出した。フリースロー以外は妻が上手かったような気がする(笑)。悔しいケド。
また、ウインドーショッピングしたり、一緒に遊んだりしたいと思った。
今日の日記は「いつみても波瀾万丈」という番組の話から始まった。今日の私の気持ちも波瀾万丈だったような気がする。でも、ハッピーエンドでよかった!

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12/16日記~入院生活を振りかえる

12月13日に真実を聞いてから気分はあまりすぐれない。妻のことを思うと尚更ふさぎがちになる。そんな今、これまでの日記を読み返してみた。すると、11月25日にこんなことを書いていた。

「今は、俺が自分のことばかりしゃべって病んで。妻の喜びや悔しさを聞きたいし、同じ体験を共有したいネ」

既に3週間前に妻について、時と心を通わせたいと綴っていた。
11月25日にはⅡドクターからこう言われている。

「おそらくこれからも波はあるだろう。そのときにどんなふうに考え乗り越えてきたか。どんな苦しみを持っていたか。メモしておきましょう」

今、その波が来ている。涙を流すことや親に思いをぶつけることで乗り越えようとしてきている。自分を見つめ直すということは、ある部分では自己を肯定し、そして否定することである。否定することは苦しい。その苦しみを認めた先に次の私があるように思う。
12月2日には、これからの自分について次のようなことを書いている。

「うつ病でなくても、イヤになることや何もしたくないことはあるわけで、そういう時にある意味割り切って転換できるかどうか・・・これだろう」、「気分の落ち込みを許せる自分が来た時が退院の基準ではないか」、「ゆっくりできた~自宅でもゆっくり療養していける。そう考え決断した時だと思う」

12月7日には今の自分について、こう書いている。

「私には、笑いが、休みが必要だ。それが今、必要だから許されているんだ」  

今の自分を肯定しよう、いや肯定して良いと思おうとしている気持ちがそこにある。そして今日、病棟で最も仲良くしている②くんに真実を知ったショックの話をした。それに対し②くんはこう答えた。

「俺もあるよ。それも何度も」

病気だから採用しないと言われることに腹が立たねぇか?と私が聞く。

「腹立つよ」

と事も無げに②くんは答える。それを乗り越えているのが今の彼である。このあっさりした答え。②くんは自分の病気(統合分裂症)を受け入れているのである。その上で治したいと思い、社会復帰、夢への実現を熱く語ってくれる。病気を理由に何度も採用を断られてきた経験者が前を向いて歩こうとしていることに、何だか自分のショックがちっぽけなような気もしたし、何よりここにそれを乗り越えようとしている人がいることに勇気づけられた。妻の声が聞きたい。随分気持ちが軽くなった。これまでの自分を振り返り、②くんの言葉をもらったことで。

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12/16日記~私は彼女を見てきたか?

昨夜11時就寝。 今朝7時55分起床。 8時間55分睡眠。
テレビ「いつみても波瀾万丈」(日本テレビ系)を観た。大学時代には毎週観ていた長寿番組だ。ゲストは林家三平の娘で春風亭小朝の妻だった泰葉さんだった。夫婦で番組出演したり、小朝独演会のプロデュースをしたりしておしどり夫婦と思われていた泰葉さんが結婚19年目にして離婚した。泰葉さんの人生はさておき、別れを切り出された小朝さんが離婚後に自問自答したものは次の趣旨の言葉だった。

“夫婦では毎晩のように夜中2・3時まで落語の話やプロデュースの話をよくしていた。それで夫婦の会話をしていると「思いこんでいた」。でも夫婦で仕事のことを話している自分が「彼女を見ていたか」と反省した”と言っていた。泰葉さんも離婚の直接の原因に「日常会話がない」ことに気づいたと言っていた。最後に小朝さんが泰葉さんの芸能人としての才能を語っていた。それは離婚後に思いついたのかもしれません。

私も妻に情がある。我が家では私が話し役で妻が聞き役ということが多い。勿論会話もしている。でも、会話をしていると「思いこんでいないか」。「彼女をみていたか」。彼女の喜びや腹立たしさや思ったことや彼女の良さなど、いろんな彼女を見てきたか?小朝さんと同じように自問自答である。今、彼女が一番楽しい時間はいつだろう。最近、腹の立ったことはどんなことだろう?私は知らない。愛するということは、同じ時間を共有すると共にお互いを見つめ合うことなのではないか。私は孤独と自己否定を繰り返しながら自分ばかりを見て、周囲に負けまいと、弱みを見せまいと自分を追い込むことを繰り返してきたのではないか。と考えると、自分を受け入れること、そして生活のコアである家族と時間だけでなく、見つめ合える。そういう生活が送れたらいいな、と思う。私は家族を壊すようなことをしたくないから。そして、もう自分を壊すようなこともしたくないから。

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家路~涙した曲

今日のクリスマスパーティーには奄美高校の衛生看護科の生徒さんもボタンティア参加していた。のみならず、手話同好会がステージで手話付きの歌を披露してくれた。その中に中孝介さんの「家路」という曲があった。私は初めて聞いた歌だった。ステージ上の高校生にも、そして何より「家路」の歌詞に涙した。

「家路」 作詞・作曲:江崎とし子

 ひそやかに 影を落とす  夕映えの街に 灯がともる頃
 未知し風 吹かれて君は  離れた空の下 何を想う
 足早に過ぎゆく 夕空に飛び立つ  鳥の群れが家路を辿るように
 ここへ戻っておいで 君の休まる場所へ 空の向こうで明日が手招いている

 いくつもの 夢を数え  誰もが答えを探している
 足早に行き交う 人波に紛れて  君らしさを見失ったなら
 ここへ戻っておいで 羽を休める場所へ 今日という日を好きになれますように

 今君が流した いとしいその涙が 乾くのなら僕は風にでもなろう
 ここへ戻っておいで 君の休まる場所へ
 相変わらずの笑顔で 明日を恙無くすごせますように 

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12/15日記~クリスマスパーティー

20071215_3 今日は病院主催のクリスマスパーティーだった。奄美市体育館を貸し切って、特設ステージに3mを越すであろう巨大クリスマスツリー、音響まで本格的で豪華すぎるパーティーに、参加できる患者ー500名以上と新聞報道にあったーが参加した。歌者による島唄、小宿中吹奏楽部、ミニライブなどに加え病棟患者の出し物もあった。島唄や八月踊りには、私もステージにあがってノリノリで踊った。そこに島出身であるかどうかなんて関係ない。私の家族も来た。最初は人の多さに緊張気味だった子どもたちも、途中から踊ったり指揮をしたり。最後は最前列で子どもと島唄を聴いていた。
パーティーが終わり、会場を後にする時の妻の表情が気になった。疲れたような表情だった。2~3日前からそれを感じていた。妻に電話をした。家族友達と外出していた。妻は疲れていない!と言い切った。育児・パート・畑・家事に加え、毎日見舞いに来る妻は疲れているのではないかと思う。私が“見舞いは来なくていいよ”と言ったが、妻は“来たいから来る”と言っていた。
私の病棟には、親族等の看護疲れで入院してくる人が数人いる。福祉の実態を表しているようでもある。私の病気が私の夢だけでなく、家族そのものを破壊してしまうのではないかーという予感がした。
そこで、また実母に思いをぶつけた。母はこう言った。
「畑もパートも放ってて構わない。大切なのは家族だ。育児も家事もできるところまででいいじゃないか、畑・パートは辞めてもいいじゃないか家族そのものは破壊しないし、してはいけない」と。久しぶりに、というかはじめてかもしれないー実父にも弱音を吐いた。1つ1つの経験が生きていって成長することができるんじゃないか、と言ってくれた。自分の思いを、弱音を親にぶつけることなど今までなかったような気がする。今、それを親が受け止めてくれている。思いを話し、涙を流すと気が落ち着く。「自分のキャリアアップを図ろうとするのはわかるけど、今の自分を褒めていいんじゃない。自分をいじめる必要はない」と母は言った。私が今朝思ったことをずばり母が指摘してくれた。何よりも家族ー妻、2人の子どもを大切にしたい。
私は、家族ー何よりも妻と2人の子どもに感謝している。ありがとうと言いたい。“病めるときも苦しい時も互いに励まし合う”ことを神に誓って結婚した妻を大切にしたい。私は3日も続けて泣き続けている。でも、泣くことで落ち込むことはない。涙が心の中の厚い雲の雨なのかもしれない。雲はいずれ通り過ぎて行く。何だかそんな気がした。

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12/15日記~あるがまま

日課となった朝シャワーに①さん、②くんと私で入る。①さんが一昨日私が暴れたことについて、「誰にでも暴れたくなるようなことはあるよ。気にしなくていいんだよ」云々と言ってくれた。
私は退院まであと6日の予定だ。でも、気の落ち込みを処理しきれないときは、もう少し退院日を延期してもいいと思っている。今の私は、森田正馬氏が考案した森田療法のようなものと服薬治療をしている。森田療法とは、症状をあるがままに受け入れ、自ら望む生活目標の達成に取り組むことである。
退院予定日までの6日間、どういう経過を辿るかは分からない。どちらにしても、その自分を受け入れて、自分を否定したり、いじめることはしないようにしたい。①さんからシャワー中にもらった言葉は、暴れずにはいられなかった自分も自分だし、それを処理した自分も認めてもらえたように思った。こうして入院患者さんから、そして看護士さんから「落ちそうになる」私を助けてもらっている。こうして入院生活を続けてきた。あと6日、ゆっくり過ごすことにします。みんなに感謝です。

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12月14日のメモ

自分で自分をいじめるのはやめよう。肯定的な自分を今の自分を受け入れよう。
笑顔で人に接してみよう。少々おかしなことも笑おう。
悩みは解決しなくてもよい。「まぁ、なるようにしかならん」、「悩んでも時間の無駄」、「どうにかなる」という踏ん切りをつけることもあっていい。好きなことをしよう。
自分の良い面を評価してみよう。自己否定や取り柄がないと考えるより、褒められる、褒めてあげたい自分を見よう。

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12/14日記~少し自分を褒めようか

昨夜10時40分就寝 今朝6時30分起床 7時間50分睡眠
昨日暴れた反動から「くる!」と感じた私は、朝食後寝て昼食後も寝る。15時に起きあがり散歩へ。約15分歩いた後、グラウンドのど真ん中に寝転がる。曇り空。薄い雲と厚い雲が行き交い、合間に青空が見える。高いところで数羽の鳥が飛んでいた。厚い雲の中では視界が悪いだろう。手探りだ。その雲が過ぎると白い雲が、そして青空へと段々視界が広がっていくようだ。
昨日の暴れにアルコールは関係しなかった。私はこれまで、ショックやストレスをアルコールで紛らわすことがあった。しかし、昨日はアルコールに頼って暴れることはしなかった。涙と時間と自分の思いを吐き出すことで、引きずる気持ちを振り切った。先のことより今の自分を受け入れようと。アルコールに頼らず対処した自分を少し褒めてあげたい。
夜には病院職員が聖歌隊として歌を披露してくれた。50人ほどの職員の歌声。最近、涙もろいのだろうか。こみあげるものがあった。忙しい合間を縫って、練習している素振りもなかったのに素晴らしい歌声だった。退院一週間前に素晴らしいプレゼントをもらった。それは心のこもった歌声だった。

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2008年1月18日 (金)

ヒカン桜と悲観的思考について

Sany0035 沖縄でももう桜が咲いているはずですが、奄美でも桜がほぼ満開状態です。ヒカン桜と言い、本土の桜とは種類が違いますね。調べると桜の原産地は中国のようです。これも桜の歴史がありそうな気がしました。

ところで、今日は診察日。主治医であるⅠドクターの診察を受けました。今後の復帰審査などを考えると主治医にかかるのが妥当だろうと思ったからです。

この2週間の経過について、年始3日に外出しようという気分になってからは、その後山に登ったり、大阪・東京に電話したり行動していた時期があり、11日から4日ほどうつ症状がひどかったことを話しました。で、うつ症状がひどい時ほど悲観的なことも。

「あなたが復職について考えを巡らせるのは当然のことでしょう。むしろ何も考えたことがないという方が不自然なほど。だから考えることそのものに問題はないです。ただ、考える時に悲観的だったり攻撃的になるのは、それが病気に起因しているということを自覚しておけばいいと思います。あなたの場合、うつの周期が短いので「回復した」とも言えないし、「回復していない」とも言えないですが、症状が軽くなりつつあると見てよいでしょう。うつ状態がひどい時の対処法についても、それで楽になるのであれば問題ない方法でしょう。」

とⅠドクターに言われました。復職支援体制等について方々に毒を吐いていた私を客観的に説明されて、「あぁ~そうか」と思いました。うつ症状を酒で紛らわすことだけはしない!と思っているので、私なりに苦しい時に何とかしようとしてたんだな、って振りかえっちゃたり・・。悲観的思考が病気に起因しているならば、シンドイ時は寝ちゃえ!って診察を受けながら思っていました。ここ数日、活字に目を通していませんが、それも「ま、いいか!」と思ってます(と言いつつ本は昨日注文しちゃってるんですけど・・)。ま、もうしばらくはこんな状態が続いていくんだろうな、と思っています。

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2008年1月17日 (木)

12/13日記~信じられない!

今日、「真実」を聞いた!!

私が「いいなぁ~」と思っていたもので、それを応援してくれていた人もいたこと。その私の希望に対する答えは、私を応援してくれていた方から妻に知らされ、夕方私は妻から聞いた。

「病人はとらない!」

と。私の夢というか野望は夢に消えた。これまでのドキドキも昨日の悩みも全て終わった。自分の力ではなく、自分の病気で門前払いされたことのショックと、これまで胸躍らせていた自分へのむなしさと、自分の病気とその原因への恨みから病室で暴れた!たちまち過呼吸が出始め、過呼吸の中で、長~~~い沈黙に耐えた。報せを聞いて駆けつけた看護士Eさんも、その長~~~い沈黙を待った。

私は、私が暴れた気持ちなど誰も理解できるはずがないし、してもらわなくていい!と思って黙っていた。でも、なぜか、なぜだか分からないけど看護士Eさんにその「真実」を話した。すると、実は看護士Eさんの夫も私と同じ経験をしていた。夢への挑戦の3日前にある事情から夢への挑戦権を奪われていた。自分以外の人のせいで夢への挑戦権そのものを奪われていた。
「俺は自分の病気が憎い!看護士Eさんは夫の夢への挑戦権を奪った、「ある事情」のことを憎く思わねぇのか?」と聞いた。

「憎い!殺してやりたいほど」

その言葉を発した時の看護士Eさんの目はマジだった。吐いた言葉の問題じゃなかった。私は看護士Eさんにこの話をして良かった。中途半端な同情や心配の声より、あのマジな目に、看護士Eさんは俺の暴れた意味が分かってくれていると思った。それで落ち着いた。今、この日記を書いている途中に看護士Eさんが私の様子を見に来た。いつもの柔和な目だった。私は今、この病気を受け入れようと思ってここに入院した。病気なのは事実。「病人はとらない」と言われた以上、私にはこの病気を受け入れるしかないのだ。この病気ーすなわち「うつ病」によって、これまでの私は粉々に砕け散った。今、ジクソーパズルを埋めるように少しずつ自分を作り直している途中だ。それも今までの歪みを修整しつつ。このジグソーパズルが完成に近づき、本当の姿が意味を持ち始めた時、もしかすると、また夢への挑戦権があるのかもしれない。でも、今、それを全く私は期待していない。いや、むしろもう完全に諦めている。今、私がすることは病気を受け入れ治すこと。これだけ。

今日、私が病室で暴れたことでかなりの人をびびらせて迷惑をかけた。私が暴れて以降、誰もテレビのあるホールにいなかった。明日謝ろう。そして、明日からまた私のすることを一歩ずつ進めていきたい。

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12/13日記~笑っていいともで気づく

入院してから最近、「笑っていいとも」のテレフォンショッキング?を観ることにしている。毎日、芸能人がいろんな話をしてくれる。話を広げるタモリも上手いなぁと思うが、それより多くの芸人が仕事以外の話題を持っていることに気づく。芸人が自分の仕事の話をする時は大したことないし面白くない。逆に、趣味に旅行にマイブームや地方のエピソード等仕事以外の話が面白いのである。
例えば、今日は松村邦洋さんだったが、彼は小学生の頃から大河ドラマを欠かさず観ているらしい。大河のスタートから欠かさず。それ故、ドラマシーンのモノマネもできるのである。もともとモノマネの上手な方なので、実際にモノマネすると細かすぎるほどのマニアックさが面白い!大河ドラマのモノマネと言えば、鹿児島大学のH先生も負けてはいないが。何せH先生は中学1年の誕生日プレゼントに家系図(どこの系図だったか?)を泣いて親に頼んで買って貰ったほど。話を戻すと、仕事以外の話ができるって大切な事というか、今までの私にはあまりなかったかもしれない。でも、この病休中にいくらか仕事以外のネタが増えた。こういう楽しみって大事だよなって思う。

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12/13日記~ココミちゃん伝説!

昨夜10時30分就寝。今朝4時目覚め、6時起床。7時間30分睡眠。
今日は診察日。退院日を仮決定し、退院に向けて、あるいは退院後の生活について話をした。うつ状態をアルコールで紛らわすことがないようお話をもらい、具体的方法などを話し合った。
ところで、昨日入院し隣の病室に入った女性はちょっとかわった子ちゃんである。昨夜10時に私がベッドに入った時、私の部屋を彼女がノックした。「何ですか?」と聞くと、
「ココミちゃん知ってる?」と尋ねてきた。「は?」と私が言うと、「ほらココミちゃんよ~」と彼女。「いや、知らない」という私に「え~!知らないの~?
キムタクの子どもの心美ちゃん!」。「あ~その心美ちゃんね。それが?」と私が聞くと
心美ちゃん、元気がどうか調べててくんない?じゃぁね。」バタンと扉を閉めてくれた。私は「・・・」。キムタクと友達でも何でもないし、知ってどうする?と思いつつ私は布団へ。5分後またもコンコンとノックの音。カーテンを開けると彼女が立っていた。
ねぇ~中島美嘉に彼氏がいるか調べててくんない?じゃぁね。」バタン。またもや私は「・・・」。中島美嘉の連絡先なぞ私が知るわけがない。今朝、「おはようございます!」と挨拶すると「おはよう!ねぇ~ナナコちゃん元気かなぁ。」と彼女。「さぁ~。」というと彼女は去っていた。隣にいた看護士さんに「ナナコちゃんて誰?」と聞くと「さぁ~」と答えた。
とにかく明るくてよく話している。それを鬱陶しく思っている人もいるようだが、彼女は気にしていない。それに意外に海外に詳しい。「どうしてそんなに詳しいの?」と聞いたら「だって行ったことあるもん」とのこと。特にアジア系の国や地域について詳しかった。それと写真や絵が好きなようでよく私に見せてくれた。私は彼女と話すのは嫌いではなかったので暇な時には話していた。私が本を読んでいたり、この日記を書いていると「そんな暗い顔して~笑ってなきゃだめよ~ハハハ~」と去っていく。まぁ、私も面白いことがあった時には笑顔が出るようになった。面白い時には笑おう。ハハハ~!

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12/12日記~再び考える

職場の長の人事上の具体的な話を耳にしてから、このことが気になって仕方がなかった。誰かに、このごちゃごちゃしている頭の中のものを吐き出したかった。18時50分に実家にTEL。不在。19時20分再び実家にTEL。母と繋がる。私が今の仕事を続けるかどうか迷っているという前提で、母にその思いをぶつけた。 ・・・・ここにも具体的な相談内容がいくつものパターン毎に記されているのですが人事上のこと故、ここでは控えます・・・・ 
私の思いに母はこう答えた。「何を優先するか?でしょう。」と。
・・・・ここからも優先対象内容が記されていますが、ここもカット!します・・・・ そして、妻との相談である。妻はどう考えるか。生活環境、子どもの教育環境、そして私自身が仕事をしていく上での環境。これらを妻ならどう考えるかも大切な意見にしたい。これで少し整理がついた。また、現在の職業を続けるとして、復帰にあたって相当の心身疲労があることは承知している。それでも私がおろそかにしてきたものにこの入院中気づき、復帰に際しそれを大切にしていこうと思わせたことの意義は大きい。

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12/12日記~不吉な選択肢現る

今日は少し「躁気分」なのだろうか。いろんな人と会話をする。部屋の隣に新しい人が入ってきた。中年の女性だ。会うと必ず話しかけてくるが、最後は「恥ずかしい!ハハ~」と自分で話を切って笑って去っていく。
今日の散歩は売店でタバコとコーヒーを買ってベンチに座って読書をする。この病院にいると歌の好きな人が多いことに気づく。いつもイヤホンをつけていて聴く人。外に出ると必ず歌声が聞こえてくる。ラジカセ持参の散歩者もいる。外で聴く歌は大抵演歌だ。音が外れながらいろんな曲を歌っている。そんな中で私は読書しているのである。 ・・・・入院中に周囲の影響で随分歌番組も見るようになりました。おかげで最近の歌はほぼ知っていて歌うことができますね・・・・
気分の落ち込みや自責の念がここしばらく出ていない。その間も自分の気持ちを書き綴ってきたが、自分への眼差しへの厳しさが落ち着いてきたのか自問自答することは減ってきた。時間の流れに合わせてマイペースで生活をしているといったところだ。
以前、職場の長が、今後について人事上の配慮も考えていると私に言った。その具体的中身を今日聞いた。 ・・・・その内容もつまびらかに書きたいところですが、これは今書くわけにはいかないでしょう。ただ、私にとって無駄な経験にならない配慮案だったということにしておきましょう・・・・ そして、私にはもう一つ「いいなぁ~」と思っているものがある。職場の長が提示してくれた話、「いいなぁ~」と思っているもの、現在の職業。どれを選択するか?私にとってベターな選択はどれか?しばらく考えてみることにする。

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12/12日記~過ぎ去る1日

昨夜10時30分就寝。 今朝5時30分起床。 7時間睡眠。
最近、1日が早く感じる。起きてシャワー、めざましテレビを少し見ると朝食、はみがき、ヒゲ剃り、そして薬を飲んで検温。その後は外を眺めたり本を読んでいるうちに11時頃。12時昼食。はびがき、薬。1時間ほど昼寝をしてから院内散歩。その後家族の面会。家族が帰る頃は夕食前。18時夕食。はみがき、薬。そしてテレビを見たり、読書していると9時。消灯。私は10時に睡眠薬を飲むことになっているので、それまで考え事や読書。そんな1日だ。食べて、寝て、本を読んで、外を眺めるだけで1日は結構なスピードで過ぎていく。入院も3週目に入ると奄美の訛も随分耳慣れてくる。たまに「じゃーじゃー」と相づちをうったり「あげー」なんて言っている自分がいたりする。
私のいる北病棟1階は入退院も頻繁だ。知らない人がいつの間にか隣で飯を食っていたりする。なので名前を知らない人が増えてくる。私は症状が軽い方だと思うし、実際周囲にもそう言われるが幸い個室に居続けている。4人部屋への急な移動指示に備えて耳栓を準備しているが、今のところ出番はない。
最近は部活の夢をみることが度々ある。形をなしていない部を成長させていくことに楽しみと自信のある私にはそれが夢になって出てくるのであろう。
あっ、そういえば読了した本を挙げておこう。マーク・トウェイン『トム・ソーヤの冒険』、藤本一勇『批判感覚の再生』。宮沢賢治は私にはどうもあわない。小学校の国語の時もそうだった。「クラムボンが笑ったよ」という台詞のある宮沢賢治の作品「やまなし」。私にはいまいちピンと来なかった記憶がある。
最後に病棟にいる人は生活保護を受けるなど低所得者が多い。病院に借金してタバコを買う人もいる。私もこれまでタバコを10本くらいは上げただろうか。何せ断れない性格なもんで・・。“持ってない”と嘘をつくのもヘタなんですねぇ~。

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12/11日記~AND I LOVE YOU

昨夜10時40分就寝。今朝6時30分起床。 7時間50分睡眠。
今朝、ドリカムの吉田美和さんが亡くなった夫へ向けて歌った曲を聴いた。とてもとても良い曲だった。1分50秒程の歌だが、夫婦のこと、夫への思い、いろんな物がたくさん詰まっていた。夫を亡くしショックが大きかったと聞いていた吉田さんが自分の思いを歌で表現することに、その思いがいっぱい詰まっていることに涙が出てきた。

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12/10日記~バックストレート

入院して19日目。日記ノートは2冊目に入った。
午後から院内散歩に出る。今はストレッチを中心に行っている。半年近く運動していない私は筋肉がそげ落ちてしまっている。しかし、筋力回復や体力回復の前に体をほぐすことから始めている。そのストレッチでさえ体力が落ちたことを自覚させてくれる。今日は病院の外周を2周(約8分)歩いてグラウンドに座り込む。陽射しを浴びて空を眺める。飛行機雲が長い尾を引いて行く。周囲の山や森をしばし眺める。そこへ別病棟の人が来て「こんにちは」と挨拶される。挨拶を交わした後、彼は言う。「俺とかけっこしない?」。私は「しない」と答える。本当はしたかったが。彼が「疲れた?」と聞くので「疲れた」と答える。そのまま彼は走り去った。しばらくして、私はグラウンド内のトラックを歩いてみる。バックストレートの位置に立ったとき、こみ上げてくるものがある。バックストレートを走る感覚、バトンを渡す感覚が蘇る。走りたくなる気持ちを抑える。昨年まで毎年のように走ってきたバックストレート、今年は走っていない。現任校に3月28日から復帰する。これを思い出して“過呼吸がくる”と感じた。それほど強いアレルギーなのか・・。しかし思い直す。「生徒一人一人と再会するのだ。学校名ではない。一人一人の生徒と再会するのだ。生徒指導困難校でであっても、学校と会うのではない。生徒のいるところへ復帰するのだ・・」。そう考えると過呼吸の予兆は消えた。構えることはない。相手にされたとしても、されなかったとしても「私」が「私」であるように、ゆっくりゆっくり。

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12/10日記~⑤さんの痛烈な一発!

昨夜7時30分就寝。今朝7時起床。11時間30分睡眠。
マロ作『家なき子』、マーク・トウェイン作『王子とこじき』、椋鳩十作『ハブとたたかう島』を読む。『家なき子』は1878年の作品。産業革命の一方で失業、貧富の差などの社会問題が起きた時期。同時期の同様の作品には英国のディケンズ等が挙げられるという。『王子とこじき』はミュージカルでも演じられる有名な作品だ。1881年の作品。16世紀、ヘンリー8世の悪政とエドワード6世の時期の話である。『王子とこじき』がアメリカ19世紀の資本主義化、政治の腐敗化と形式張った社会からの解放を風刺している作品とは知らなかった。マーク・トウェインには『トム・ソーヤの冒険』『ハックルベリー・フィン』等の作品がある。1977年発行の『ハブとたたかう島』。現在はマングース駆除に乗り出した奄美大島であるが、マングースが奄美に求められた背景のわかる時代描写だと思った。現在はハブの生態を紹介する商売も存在する。30年前に大島がどれほどハブに敏感であったかが様々なエピソードとともに紹介されている。
小・中・高と全く本など読まなかった私にとって児童文学作品の面白さを今、感じる。

ところで今朝、72才になる患者⑤さんがタバコ室で私にこんな話をしてくれた。
「先生っちゃあ一人一人の子を見なならんえらい職業じゃ。わしらは自分の周りだけ見とりゃええけど、先生は何十人の子を見る。一人一人の違いがある。それを見ていかにゃならん先生は大変な仕事。それで先生も疲れたんじゃろ。」

私はその通りだと思いながら、半分は自省していた。私は確かに忙しかった。前任校でも現任校でも。だから前任校は子どもと保護者に救われた、力をもらった、助けられたと思っている。サプライズイベントを私に企画してくれたり成長する子どもたちに完全とは言わないまでも目を向けていたつもりだ。一方、「ゼロからの出発」を宣言して赴任した現任校に、一人一人の子を見ようとするところがあったか?そんな余裕があったか?私は自分の仕事が文化的知識や社会規範を教えたり気づかせたりすることが、その中枢にあると思っている。しかし、それが方法論やプロジェクト型による特定の私の目指そうとした、ある意味独善的な変容を求めることに偏りすぎてはいなかったか?そして、学校レベルを既に超えている問題行動を起こす生徒に係の責任として振り回されて、肝心な原点を忘れていたのではないか。一人一人を見ることは一朝一夕にできない。時間をかけてコミュニケーションをとりつつ、一人一人を見ること、その大切さを大切にしてきたか?自らの実践結果に没頭するあまり大切なことをおろそかにしていなかったか?私は私自身を、そして生徒の生徒自身を見ようとすることの大切さを。私が前任校を発つ時に宣言した「ゼロからの出発」とはこういうことなのではないか、と⑤さんの話を聞きながら感じた。

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12/9日記~英国体験と私の気持ち

久しぶりに入院中の日記を振り返ってみることにします。

看護士Cさんがこんな話をしてくれた。
「奄美で生まれ育った私が、その後神戸で長く生活し、奄美に戻ってきた時、何よりも時間のルーズさにイライラした。今はもう、その奄美の時間の流れにどっぷり浸かっているけどね。」
そして娘さんの英国留学にまつわる話をしてくれた。
「英国も電車を待っていて全然時間通りに来ない。日本から来た私はイライラしているのに、周りの英国人にそんな素振りはない。30分ほど遅れて入ってくる電車に驚いたもんですよ。でも、英国に行った私が重い荷物を移動していると、英国の紳士が持ってくれる。全く知らない人なので、“持って行かれるのでは”と不安に思っていたが、それが“優しさ”だとわかるとホッとした。エレベーターでは、先にボタンを押して待っている紳士が周りの人に“Please”と譲ってから最後に自分が乗る。時間にはルーズだけど優しさと思いやりのある国だと思った」と。

4・5月。私はイライラしていたものだ。動きの鈍い生徒に。「なぜこんなにノロノロしているんだ!」と。それは看護士Cさんが奄美に帰ってきた時と同じ感覚かもしれない。私はそのイライラを例の虚像でせかしていた。
私も今の自分を、自分の環境を素直に入れたい。と同時に、英国で今村さんが体験した“優しさや思いやり”は発信したいねぇ。ムリのない、虚像ではない私には「耐えること」も求められるだろう。でも、太い幹をもつ木は枝葉が暴れてもぶれない。そんな余裕と優しさ、いいなぁー!

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2008年1月15日 (火)

何に苦しんでいるのか?

早めの昼食を取りながら、正月に放送された「プロフェッショナル」という番組のイチロー特集をみていた。イチローが日本でアメリカで苦しんでいたもの、それは「打って当たり前」という「重圧」だった。それまで重圧から逃れようとして苦しんでいた彼が、昨年この重圧を敢えて受け入れることで、シーズン後に「野球の面白さを再び感じるスタートラインに立てた」と語っていた。

そこで思い出した。「あなたは何に苦しんでいるのか考えてごらん」と医師から先週言われたことを。私は何に苦しんでいるのか?部屋で一人考える。ソリの合わない生徒に?否、違う。それは今までもあったこと。今回病んでまで苦しんでいる理由にはならない。じゃ、環境の変化?否、違う。私以外の家族は元気だ。理由にならない。じゃ、私の求めていたものがそこになかったこと?じゃ、それ何?時間のルーズさに対する、そしてダラダラで動かない生徒へのイライラ?それは否定しない。なぜなら私以外の同僚もそれを口にするから。でも、それだけでは私が病んでまで苦しむ答えにはなっていない。ここで考える。ここまでの自問自答は全部、私以外の周囲のものだなー。周囲が私を苦しめていると結論づけたら、苦しみは無くならないだろう。これを結論にはできないし、これでは意味がない。

と行き詰まった私は散歩に出かける。私は何に苦しんでいるのか?と、また問う。・・・・私が持たないものを持とうとしていたから?じゃ、それ何?また行き詰まる。じゃあ、私が持っているものは何?私が持っているもの/表で裏で頑張っている者を励まし応援し、悩んでいる者と一緒に悩み、弱い立場にある者の味方になること、中途半端な者にあっさりと「あなた中途半端!」って告げること。その一言で気づく者は気づく。こんなとこかな~。じゃ、これ以外のものを持とうとしていた?例えば200人近い集団を前に権威ぶって説教すること?中途半端な者に対して声を荒げていた?あるいはスルーしていた?そんなことを思いつく。

イチローは周囲の重圧に苦しんできた。私は、ここ数年、自分に課題を課してクリアすることで充実を得てきた。それはイチローの重圧とは違う。私のものは課題だから。そして周囲からのものでないから。私が苦しんできたのは重圧ではなくて、自分に持たない/持つ必要のないものを求めようとして、持てなくてイライラして苦しんできたんじゃないの?イチローが苦しんできた重圧は、イチローの望んだものでないから苦しんだのではないのかい?それを敢えて受け入れた昨年、イチローは自らの職業の面白さを再び感じるスタートラインに立てた気がしたのではないのかい?とすると、「私の求めていたものが周囲になかったこと」に対しては、敢えてそれを受け入れたらいいんでない?そして、自ら望んだものでない/必要性を感じないものを捨てればいいんでない?でも、今、必要性のないと思うものが、赴任当時は「必要」と思っちゃったんだろうねぇ。だから私は苦しんだのではないかなぁ。さて、必要ないものを捨てた後!残った私のもの~陳腐ではあるけれど~で生活すればいいんでないかい?・・・・と、約30分の散歩を終え、再度自宅で自問自答した今日の結論はこれであった。今日の結論が結論ではないかもしれない。だって多分、また考えると思うから。

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2008年1月14日 (月)

悶絶との決闘

昨日は15時間くらい寝ていました。うつ病には、気分が落ち着くときと滅入るときの波があります。昨日は気分が滅入るときのピークだったのかもしれません。気分が滅入るときには、「モヤモヤした気分」と「息苦しい」症状が私に襲いかかります。
・「モヤモヤした気分」の時は滅入ってしまって、何もする気になりません。そしてマイナス思考がどんどん広がっていきます。今のマイナス思考と言えば、リワークについてでしょう。最近は復帰のことばっかり言っています。
・「息苦しさ」の症状は、文字通り、ドキドキして呼吸が苦しいので動く気になりません。呼吸ごとに背中も痛むんですね。横になるか座っていることで精一杯です。何もする気にはなれません。見たいと思っていた録画DVD等も見る気にならないわけです。

そして、昨日は久しぶりに最大級の過呼吸が来ました。「過呼吸ってこんなに苦しかったっけ?」と思うほどでした。去年の初夏は毎日こんなのが来て、その中で仕事していたんだな、と。口に袋を宛て悶絶していました。昨日もとんぷくを飲み、お風呂で湯船に浸かってはシャワーを浴びること約40分。息苦しさと背中の痛みは治まっていきました。

「この苦しみがずっと続くわけではない」「苦しい時の自分も認めることができると思ったから退院したんだ」と言い聞かせながら、ひたすらベッドで悶絶に耐えていました。

思えば、12月22日の退院時もモヤモヤはありました。そして12月28日に「楽になりたい」と思う日があり、1月2日まで何もする気が起きませんでした。ところが、1月3日に家族で一緒に出かけて見ようかなと古仁屋に行き、5日には長男とおがみ山登山、7日は診察後、人事個表をもってお出かけ。8日は大阪・東京へ電話して新聞記事や復職に関して質問攻め。そしてメール。つまり、1月3日~9日までは何だかバリバリ動いてるんです。9日ごろ私は、「頑張りすぎたから数日後に「がくっ」と来るかもしれない」と妻に漏らしていました。案の定、9日夜から13日にかけてガクッと来て、ずっと横になって何もする気が起きない。温泉・風呂好きの私が、風呂に入る気にもならない・・・・。今日1月14日がどんな日になるかは不明。
でも、苦しみ耐えて「こんな日もあるのを覚悟で退院したんだ」と言い聞かせて、悶絶との決闘を受け入れるしか他に方法はありません。

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2008年1月12日 (土)

ぶっちゃけた話

さて、最近「超マイナス思考ネタ」の多いこのブログですが、ま、今は私がそういう状態だと思ってください。

昨年7月17日に病気のための休暇に入った私のここまでの生活は、11月22日の入院という日が一つの境目になっていると思います。そこで、こう名付けましょう。昨年7月17日前後から入院までを「思いきり勘違いしていた時期」、入院中を経て退院後の現在の私を「ちょっと勘違いしている時期」ということに。

では、「思いきり勘違いしていた時期」の何が勘違いだったんか?
私、昨年5月終わり頃から過呼吸に悩まされ始めました。そして6月末には過呼吸が1日何回も出るようになる。過呼吸を止めるのに20~30分。その後襲ってくるだるさに耐えること30分ほど。7月には夜15分起きに目が覚める、テレビ・新聞は見ない、朝・昼飯食べない、生徒の毎日の提出物も見ない日に。

そして病気のための休暇に入ったわけですが、その時に思ったこと。
①「これで、あの苦しみから解放される!」、②「自分の時間がいっぱいできた!」
この②が「思いきり勘違い」まっしぐらの道へと突き進んでいくわけです。自分の時間ができた!と思って、「これは好きなことができるチャンス!」と踏んだ私は、次々に自分の時間を使うための野望を持ち始めます。
1.本を読みまくってやる!  
2.資格をとってやる!  
3.休んでいる分、給料減っちゃうかもしんないからお小遣いくらい稼いでやる!
4.形に残るものをつくってやる!

とまぁ、今考えれば全然休んでないわけでして、とんだ勘違い野郎だったわけです。
1は、8月までの1ヶ月で20冊超読んでますね。むさぼり状態!
2は、通信講座で行政書士の資格を47,000円出して申し込みました。
3は、アフィリエイト。
4は、小論を書いて、出版社に持ちかける。

その結果、こうなっていきます。
1は、10月に入ると集中して本が読めずキツくなる。たまに読む程度。
2は、憲法・民法まで勉強したものの、集中力と記憶力が低下して続かなくなる。
3は、アフィリエイトは収入ゼロ。疲れるし飽きた。
4は、2つの出版社に小論3本を寄稿。4本目も構想はあったが、書く気力なくなる。

ということで、とんだ勘違い野郎は、9月後半には当然ながら完全にバテてしまいます。そして10月からチビチビ畑を始める。これは体力回復には悪くなかったと思います。でも畑以外は10月以降、殆ど何もできない。そして11月旅行と釣りをした後、入院と。

今は、勘違い野望No.2~5まで全て退院後、捨てちゃいました。本を読むのは気が向いた時チビチビ続いています。つまり、入院してから「やっと休み始めた」と言えるのかもしれないですね。としたならば、休み始めて1ヶ月半!?何やってんだ・・・・。

そして「ちょっと勘違いしている時期」の今、黙って休んでりゃいいものをちょっと勘違いしています。それは、精神障害者を散々こけにしてきた国が精神障害者対策に動き始めているのに!国の施策や努力目標、設置センターについて、私たちの所にはな~んの情報も来ない。返事がないとか、連携してませんとかの返事に絶望といらだちを感じていることです。ま、世の現状がこうだから、市民運動やNPOが国に訴える形になっちゃうわけかな・・・と思うと、復帰しようと思っている自分そのものがバカバカしくなってくる。これが、「ちょっと勘違いしている」私ってところですかね!おとなしく休んどけ!っての。

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12/9日記~虚像と私の乖離

4月5月の私を振り返ってみた。転任先の生徒は声の大きい教師、腕っぷしのある教師、暴力的に脅して指導する教師の指導は、大方の生徒が聞く。と言っても、今の3年と1・2年は少し雰囲気が違う。学校レベルを超えた生徒はどの学年にもいる。が、刹那的な3年に対し、1・2年は穏やかな生徒が多いようにも感じる。つまり、全体的に落ち着かない3年に対し、一部を除けば穏やかな1・2年だと思うのである。

話を戻そう。私の転任先では声が大きく腕っぷしのある、つまり暴力や暴言を吐くと自分/生徒自身が負けそうな教諭に対し、生徒は一目置くのである。しかし、裏を返せばそれは、よほど屈強な女性教師でない限り、女性教諭にとっては生徒の横柄さに耐えたり、相手にしない、そして我慢できる度量が必要となってくる。
私は、この男尊女卑的な雰囲気が最も嫌いだった。赴任早々その雰囲気に気づいた私は、愚痴をこぼしつつ、必死に耐えている女性職員の加勢をしたりもした。

そんな学校の中で私はどの位置にいたのか。私はもともと筋肉質であり、空手と剣道をしているという話は「屈強な人」という虚像がつくられていくこととなった。と同時に、腕相撲や筋肉を見せてとせがまれることで、その虚像づくりを自ら膨れ上がらせていった。「屈強な男」という虚像がどんどん膨れあがる中、もともと強く大声を出すことなど滅多にない私にとっては、虚像と「私」がどんどん乖離していった。乖離するほど苦しむ「私」がいた。自らもが膨らませた虚像は、確かに指導に有効なのだ。しかし、それは虚像なのだ。本当の「私」ではない。それは、まるでタバコに耐えた人がタバコを吸うと落ち着くと言っているのと同じような気がする。もともと人間にタバコは必要ではない。どうしても必要なら、幼少時から吸わずにはいられないからだ。
さらにこの虚像と「私」の乖離がすすむにつれ、私は疲れてきた。その疲れは虚像の影をも薄くしつつあった。それは、指導に従わない生徒へのねばり強さを求められることになる。するとまた、私は虚像に頼ろうとする。そんな日々の繰り返しの中で、私は「私」がどこにいて、何をするのか、いや何もしたくない、何もかも捨てたいと思うようになった。虚像中毒にかかった私を「私」に戻すことが、この治療だとも言える。原点に返る。声の大きさや腕力に頼らない私が。誠実に人に向き合おうとする私が。全てを手なづけておかなければならない、自分の持ち場を崩してはいけない、そう見られてはいけないという自分自身へのプレッシャーからの解放が。「私」を変えようと言っているのではない。「私」に戻るのである。人に向き合う「私」に。そこに理論や理屈はない。

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12/9日記~ビオラ

オレの部屋には「ビオラ」という花を置いている。妻が買ってきてくれた。土で育てる植物が部屋に欲しかったからである。最初に妻が鉢で持ってきたときは陶器だったが、陶器は不許可だったため、プラスチック製の鉢に移植してくれた。根付くか気にしていたが、枯れた部分を間引きしているうちに根付いたようだ。次々に新芽が出てきた。天気の良い日には太陽の当たる場所に持って行く。病庭にある花壇にも毎日水まきさせてもらっている。水仙が咲き始めた。私は、院庭のホトトギスが好きだ。紫色の地味な花だが、線香花火のようできれい。昨日の単独散歩の時はイチョウの木を見つけた。少し葉が黄色がかっているものの、落葉しそうではない。こうして植物観察も毎日やっている。

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12/9日記~本でも読みながら

昨日は日記をつける気にならなかった。何せ午前3時に目が覚めてしまい、布団の中をゴロゴロしていたからである。午前3時になぞ目が覚めたせいで、逆によく眠る1日になった。午前9時30分~10時30分、午後2時~2時30分、午後8時20分~9時50分、そして午後10時10分~今朝6時30分という具合である。合計11時間50分である。眠れなくて困っているよりは、まぁいいと思う。
「ドラゴンボール」27~42巻を読み終えた。最後は鳥山明さんが連載に疲れたかと思わせる、あっけない終わり方だった。続けようと思えば、まだ続けることはできたでしょう。Drスランプから14~15年近く連載していたからね。
椋鳩十「マヤの一生」、デフォー「ロビンソン漂流記」も読む。どちらも描写が細やかだ。椋は動物たちの心を代弁するかのような、デフォーは、本当に26年間無人島に住んだ体験談のようだ。
ところで、近頃寒い。内地ほどではないが肌寒い。暖房の入っている個室もあるというが、オレの部屋には冷暖房機が設置されているものの、設置場所が天井スレスレ。リモコンらしきものはない。仕方なく、この日記を書いている机に上り、冷暖房機本体にある「運転/停止」ボタンを押してみると・・・・ピカッと赤いランプがついて温風が出始めた。断っておくが旧式の冷暖房機ではない。今どきのものである。まさか手動とは思わなかった。しかし、リモコンはないので、当然温度調整ができない。暑がりの人が「暑い」と言えば、病棟全部屋の温度が下がり、やたら寒がりの人が「寒い」と言えば、病棟全部屋が蒸し風呂になる可能性がある。オレと体感温度が同程度の人が多いことを望むしかない。

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2008年1月11日 (金)

絶望と暴走

今日は、テレビも新聞も見たくない、食欲もない、本も読む気がしない、何もしたくない!そんな1日でした。ま、それはそれでいいんですけど。

ところで、笠原嘉『軽症うつ病』では、職場復帰に際しての注意点として、「早すぎないこと」を最初に挙げています。要は焦ってはいけない、主治医は患者の焦りに乗ってはいけないと書いているわけです。でも、ブログコメントにもいただいたように大企業ならば一定期間の休職をもらえるが、それを過ぎると解雇できる/中小企業の場合、残念ながら退職に追い込まれるのが現実。そんな現実の中で「焦ってはいけない」という言葉にどれほどの意味があるか?
また、うつ・気分障害協会『「うつ」からの社会復帰ガイド』では、復帰条件の一番目に「八時間労働ができる耐久力があること」を挙げています。「会社は病院やリハビリ施設ではない」と。でも、例えば現役を引退したスポーツ選手が1年後、すぐに現役時のペースを維持できるか?と言われれば、準備しなきゃ無理でしょう。そして、それは引退後からの間隔が開けば開くほど準備が必要でしょう。

こう見ると、「復帰を焦ってはいけない」が、間隔が開けば開くほど復帰から遠ざかっていくような、用意周到な準備がなければ復帰ができないような気が私はするんです。そこで、復帰当初から負担加重にならないようにするには?これが、これまた日教組の「学校に行けるようになった先生たち」連載第54回「復職のコツ」という記事にあります。一部引用します。
「基本的に「復職したら頑張ります」と言われる過労病の方には、まだ復職可能の診断書は書けません。学校では模範解答かもしれませんが、専門医はそのような答えを期待してはいません。無理をして病気になったのに、また無理をしようというのは、病気の根本を理解していないからです。「復職したら上司に残業減らしてもらうように相談します」というのが患者さんとしては優等生です。「まあ、ぼちぼちやりますわ」と答えた先生がいて、百点満点をあげたくなりました。」(引用ここまで)

例えば中学校や高校で働く人の多くは、部活動顧問を半強制的に依頼されます。一般的に部活動は正規の勤務時間外までの時間行いますから、実質残業です。診断書でも持ってって「残業=部活は当面無理です」ってやれる人は優等生らしい。というか、文科省調査の教職員勤務実態調査で、1日の勤務時間10時間をオーバーする現場で残業無理です、ということは正規の8時間が窮屈になるということ。「ボチボチ」なんかやってられません。そこも、仕事内容を軽減するように、また上司と相談しろ、と。こうなると、上司とのタイマン相談だけで疲れそうです(笑)。代理人でも立てたい!と。そこに実際代理人のような存在を置いて、職場復帰後の1~2ヶ月は残業なしというプランをたてた実例が存在することを知りました(独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構)。

でもですよ、こうしたリワークケアを受けている実例はデータでみると、就労支援などに比べ圧倒的に少ない。復職そのものに不安のある人が、それほど複雑な支援を、しかも個人でやらなければならない。
そもそも、ちょっと本屋に行って、「うつ」はどんな人がなりやすい傾向にあるか?って探してみれば私の言わんとするところが分かります。「几帳面・マジメ・断れない・完璧主義・優しい・・・・」。褒められてんのか貶されてんのか分からないほど出てきます。私は断れないタイプなんですねぇ。で、それでもって病んだ人が復帰するときは、自分で復帰していく体制を整えるのが現実。もう~復職するのも投げやりになってきます。

「もう、いいよ。復職しない。オレ辞めるよ。」と妻に話しました。

妻は、上司の相談には一緒に行くから!病気中に退職などの大きな決断しちゃダメだって知っているよね!今は、復職のこと考えるのよそう!と傍で言ってくれます。でも、私は止まりません。「もう、いいよ。復職なんか」。3月に産休・育休・病休休職者を対象としたカムバックセミナーがあると聞きました。私はこのセミナーに参加したことはありません。でも、ここまで調べてきて、まず現役復帰の準備説明が用意周到に?1ヶ月前。そして、「カムバックセミナー」が権利や労安法の話だったら、「どうも、ありがとうございました」って感じですね。余計復職の意欲は失せるでしょうから。だって、「断れなくて、優しくて、マジメ」な人に、「戦え」と言われているようなものだから。僕が求めているものは「ケア」なんですけどね!こんなこと言ったら、「甘ったれるな!」って言われそうですね。でも、現に精神疾患者が増えているわけだから。ま、今は復職のこと考えるな、と言われても関係なく考えちゃう、暴走状態!そして「復職なんかもういいや!」と思う私は、絶望状態(笑)。

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報知記事と障害者雇用支援のその後!

1月9日のブログ「地図の上は北で下は南」の文章をスポーツ報知と大阪市教育委員会に送付しました。その後、スポーツ報知からは報知新聞社編集局長さんが直接謝罪文をくれました。「記事が誤解を招きかねない表現であったと社内でも反省会がもたれたこと」、「担当したデスクの対応がまずかったこと」の二点についてでした。大阪市教育委員会HPにはご意見コーナーが設置されていますが、「返答はしません」とコーナー内に明言されている通り、何の連絡もありません。

同じく1月9日のブログ「精神障害者の雇用支援」を日本教職員組合と鹿児島県教職員組合と鹿児島県内の2支部に送信しました。鹿児島県教職員組合から、当日電話応対された方に内容をお渡ししましたという返信がきました。日本教職員組合からは連絡なしです。鹿児島県内2支部からの具体的回答は難しいだろうと思っていましたが、その通りでした。

日本教職員組合では、「学校に行けるようになった先生たち」という連載を行ってきました。連載第11回は「復職する先生への対応」というタイトルで、心療内科的病気から復職する際、管理職から「どのように対応すればよいか」と問い合わせがあることを紹介しています。その中に大分県の事例が出てきます。日教組許可の上で一部引用します。
「大分県では、休職した場合、3ヵ月間観察期間があり、その間に正式に復職可能かどうかを判定します。この間はまだ手当ての出ない休職期間です。患者さんにはこの間に真剣すぎる自分に気づいていただき、疲れを感じたら休むという自己コントロールを覚えていただきます。そのため管理職の方には「半日の仕事から始めて、労働基準法の範囲内の仕事まで徐々に2ヵ月かけて治療していきますので、よろしくお願いします」というようにお話しします。」(引用ここまで)

地域では、また個々の事例ではこうしたソフトランディングによるリワーク支援を行っていることが日教組から紹介されています。平成16年からは厚生労働省もリワーク支援事業を始めています。けれど、ま、現実はよくて地方自治体、多くは現場で個々で対応しろ、というところなんでしょうね。そう実感しました。病気を再発される方が隣にいたとしてもね。

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12/7日記~まだまだ!

昨夜10時20分就寝。7時50分起床。9時間30分睡眠。
今日はすっきりとした目覚めではなかった。眠気を引きずるような朝。朝食後再び横になり、30分ほどしてから、いつもより長めのシャワーを浴びる。頭から湯をかけ流しながらボーッとする時間が続く。シャワーを浴び終えると、少し気分も晴れる。右耳のピアスを着けて2週間。一度外して耳を洗うか、と思ったが上手く外せない。別に今のピアスの状態に問題はないので、そのままにしておくことにする。
タバコ室に入る。ホテルラウンジのような食堂の一角にあるタバコ室。ここだけは室内が黄ばんでいる。ヤニのせいだ。タバコ室では退院の話でもちきりだ。この病棟では見送られて退院する人もいれば、いつの間にか姿を見なくなる人もいる。「退院か?病棟移ったか?」とタバコ室では話題になる。3ヶ月経過したから退院させろ!と呂律のまわらない言葉で何度も看護士に話す⑧さん(その後⑧さんは慢性病棟に移った)、もう疲れはとれた。退院してぇがぁ!が口癖の⑨さん。その⑨さんがこう言った。「疲れたら、また入ればいいんだべ。今は疲れはとれた」。
この病棟には入退院を繰り返す人も少なくない。しかし、私は入退院を繰り返すつもりはない。ゆっくりでいいから前進したい。だから焦る気持ちを抑える。私も随分休んだ気はするし、休むことになれた自分がいることがわかる。でも、まだだ。退院しようと思えばできるのかもしれない。任意入院の私にはそれを直訴することができる。でも、まだ直訴は「いま」ではない。何せこれまで10年間休むことも休み方もを忘れていた私に、休むことや自分を見つめ直す時間を与えてもらっているのだ。3歩進んで3歩戻っちゃ振り出しだ。もどかしいようだが、まだ私には休みが、笑いが必要だ。もっと体と心を軽くする。もっとまだまだ休む。それが今、必要だから許されているんだ。だから、焦る気持ちを抑える。もっと休もう。自分の体に宿る心に素直なまま、なすがまま。もうしばらく。

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1日の流れ

1月7日から休職に入りました。給与が減るわけですが、だから今の私の生活に変化があるわけではありません。将来に何らかの影響がある?そんなことは今の私にはどうでもいいことです。
私の1日の流れはこんな感じです。
午前
7~10時の間で起床。朝食を簡単に。そして服薬。それから、入院中や年末年始に撮り溜めていたテレビ番組を寝転がって見る。今、その番組の感想をブログに書くのは面倒なのでやっていません。
午後
12~1時に昼食。本土の新聞がお昼に配達されるのでペラペラと見る。そして服薬。それから、昼寝をしたり本を読んだり。夕方、体調と天気という条件が整えば散歩に行く。my 畑は退院してから一度行っただけ。畑での草むしり王子は入院前と一緒。
夕方以降
子どもとお風呂に入る。湯船に浸かってボ~ッとしている。子どもの体を洗う(モチロン私も洗います)。夕食。服薬。その後はテレビを見る(最近はバラエティを見ます。普段笑うことがないので、くだらなくても見ています。たまに爆笑もしますケド)、PCの前に座る。9時前に子どもに本の読み聞かせ、歯磨きをする。10時睡眠薬服用。11時ごろ就寝。

ということで、外出は殆どなしです。出たいと思わないから。ま、外出したくなったら徐々にするだろうということで。こんな日々です。

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2008年1月 9日 (水)

12/6日記~私はどうなんですか?

Ⅰドクターとの診察だった。現状を聞かれた。12月2日に看護士Cさんとの会話で気持ちが吹っ切れ、どんな状態にある自分をも認めることができるようになってきたこと、自分自身を見つめ直し、ゆっくりする時間が持てて、睡眠がとれたことで穏やかに過ごせていると話した。「家族と過ごす時間が欲しい」と暗に退院をほのめかしてみたが、特に進展のないまま診察は終わった。

何も今後の見通しに関する進展がなかったことに、「焦ってはいけない。焦ってはいけない」と自分に言い聞かせた。しかし、やはり言いたいことは言っておこうと思い、再診察を申し入れた。そこで以下の三点を告げた。
1.単独散歩は許可してもらえるか。
2.私には、ある野望があって、そのための試験が12月中かもしれないこと。
3.退院の目途は現時点で見通しが持てるか。
Ⅰドクターの解答は以下だった。
1.単独散歩は許可する。
2.受験に関して問題(障害)はない。
3.退院の目途は、私自身がゆっくり過ごせたと感じたとき。任意入院なので、本人・家族も含めて、ゆっくり過ごせたと感じた時が目途でしょう。一般的には1~3ヶ月ですが、個人差がありますので。

という解答だった。Ⅰドクターは診察時に「一般的」「個人差」という語句をよく使用される。“私自身はどうなのか?”と尋ねたかったが、やめた。退院目途はあなた次第と言われたわけだからだ。だから、一般的な基準を私はさほど考慮しないことにする。焦ってはいけない。しかし、ゆっくりできた~自宅でもゆっくり療養していける。そう考え、決断したときだと思う。本音をいえば、私は今でも十分ゆっくりできたと思っている。来週の木曜・・・・診察日が木曜なんですね・・・・がどんな自分か、それは分からないが、落ち着いてゆっくりできるならば、そこで退院希望を申し出たい。そこで主治医、すなわちⅠドクターの指示を再度仰ぎたい。

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12/6日記~空を見て泣いた

妻の面会後、院内散歩に5分だけ出かけた。目的は空を見たい。青空にうすい雲がところどころ。澄直のことを思い出しながら空をみて歩いた。空を見て泣いたのは初めてかもしれない。散歩から帰ってきてもう一泣きした。そのあと、しばらく病棟内のホールから空を眺めた。それで昨日からの悲しみは癒えた。澄直はいるんだな、と思えてきた。うちの畑でとれた大根を妻がおでんにして面会の時に持ってきた。おいしかった。

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12/6日記~慌ただしさ窓辺に

さて、入院中の日記の続きを行きましょう。

昨夜10時20分就寝。6時30分起床。8時間10分睡眠。
今朝は冬空だ。風はない。ここ数日寒い日が続いている。とはいえ、この南の島では16℃が最低気温の程度。そんな南の島にも紅葉がある。病棟の窓からそれをみることができる。朝の街の車は、昨夜見た車よりスピードが出ている気がする。慌ただしい朝という気配だ。そんな中、自分をみつめる1日が今日も始まる。それは自分のペースでいいのだ。慌ただしさはない。

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ツレの一言。

昨夜、布団に入ってから子どもたちと寝ている妻に「ボソッ」と私は言いました。
「今は全然思わないけど、あの時「死にたい」と思ったのは、何から楽になりたいと思ったからなのかなぁ」と。

今朝、妻が朝支度をしながら「ボソッ」と言いました。
「病気が「死にたい」と思わせたんじゃないの。だから何で楽になりたいか、って聞かれても分からないんじゃない?」

「なるほど」と妙に私は納得した。

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2008年1月 7日 (月)

「それははっきり言えば卑怯だ」の一言。

今日は、精神科から退院後、最初の外来でした。2週間ぶりに訪れる病院には、懐かしさと少しの緊張感のようなものを感じました。入院中の私の主治医はⅠドクターであり、入院前の外来ではⅡドクターに診察を受けていました。
そして今日、私が外来で診察を希望したのはⅡドクターでした。診察に入ると、まず聞かれました。「退院時に外来の指示はⅠドクターからありませんでしたか?」と。Ⅰドクターからの指示はなかったことを伝え、なぜⅡドクターの診察を希望したか伝えました。その後、薬のことや年末年始の様子を話しました。

Ⅱドクターの手元のカルテには、12月28日に私が縊死しようとしたことも記録されていました。私は尋ねられました。「なぜ縊死しようと思ったのですか?」と。私が、「あの日、死ねる、楽になれると思ったからだ」と答えると、ドクターは「何から楽になれると思ったのですか?」と尋ねる。「末期癌の患者がその痛みから楽になりたいという話があるように、あなたは何から楽になりたいと思ったのですか?」。私は答えに窮しました。しばしの沈黙後、ドクターは話し始めました。

「私も医者になるのに四浪、五浪しました。国家試験にも落ちました。留年もしました。今でもこの時期に夢を見ます。センター試験(共通一次)の結果をみて今年もダメなのか?もう、死んでしまいたいと思ったことがあります。大きいコンプレックスを抱えています。でも、あの時の苦悩は無駄でなかったと思っています。私の友人が2年前に白血病で亡くなりました。最後まで生きようとしていました。一度癌センターを訪問なさったらよろしいでしょう。そして、私が誰との接触も持たずに生きてきて、私という存在がなくなるだけの“死”ならば、そこには何の誰の悲しみも責任もないでしょう。しかし、私には40数年の間に家族と出会い、家族をもうけ、多くの人と出会った。そこで私が死んだ時、私は楽かもしれないが、残された家族への悲しみや責任はどうなるでしょうか?あなたは、自死した方々が残していったその子どもたちの手記の本をお読みなったことがありますか?残された子どもたちはずっと親の死に対する苦悩を持ち続けているんです。私も“死”を考えたことはあります。しかしそれを読むと、私は楽になれても、残された者の苦悩が続くことを知ります。あなたも同じでしょう?あなたが楽になれても、残されたあなたの親御さんやご家族は苦悩が続くことになるんです。それは、誤解をおそれずはっきり言えば卑怯ではないですか?」

 「卑怯だ」と言われても悔しくはなかったです。返す言葉も出ませんでした。ドクターは最後にこう言いました。「あなたは何に苦しんでいるのか、何から楽になろうとしているのか、どうすればいいのか、答えはでないかもしれないけれど、考えすぎてもいけませんが、考える時間をつくってみてください。服薬や診察で治療は続けます。いずれそれも必要でなくなる時がくるでしょう。でも、治療の最後はあなた自身です」と。その後、薬と今後の診察についての確認をして診察室を後にしました。
Sany0033_2 会計とお薬を待つ間、「私は何に苦しんでいるだろう?」と考えてみましたが、答えは出てきませんでした。会計を済ませ、コーヒーを買って病院外に出ました。そして入院中に私が腰を下ろしてボーッとしていたベンチに腰掛けました。ベンチから見える風景が左の写真です。今日もしばしの時間ボーッとしていました。

私がⅡドクターの診察を希望したのは、うつ病の一般的症状からみた私の様子を診察するのでなく、今の私を診て、私のことを、自分の経験を語りながら治療や私の考えるヒントをくれるドクターだからです。だから、今日もドクターは熱く語ってくれました。でも、それが医学書やカルテを通しての「私」ではなく、「私」自身をみて語ってくれるドクターだから、私は信頼しています。そして今日も私に治療のヒントをくださいました。

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2008年1月 5日 (土)

ブログをご覧のみなさま~

このブログをご覧の皆様、以前からご覧になってくださる方、たまたま通りかかった方、最近このブログの存在を知った方といらっしゃることだと思います。そこでお知らせです。

このブログは2007年12月23日よりスタートしました。それ以前のブログは、

http://maksy.exblog.jp/  

です。現在のブログは、精神科に入院した私の日記を綴ることが今は中心になっています。私は鹿児島県の奄美大島に住んでいます。前ブログには奄美の様子なども書き込んでいます。よかったら、覗いてみてください。以上、お知らせでした。

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大空を舞う子と地上を走る我が子

テレビで「千の風になって」を聴いた。秋川雅史さんではなく、歌詞のテロップだけを目で追った。今、本当の我が長男である亡くなった澄直(すなお)は、どこを飛んでいるのだろう。降りてくることのない旅は疲れないだろうか。オレの秋の畑、見ていてくれただろうか。涙が止まらなかった。
この気持ちは、ここにいる誰に話しても分かりはしない。みんな自分を見つめ治そうとしている人たちだから。だから聞いてもらわなくても構わない。

どうして逝っちまったんだろう。人は「いつか」死ぬ。でも、なぜ澄直は「あのとき」だったんだろう。我が子でありながら、あの時命なき/つまり死者である我が子を抱く勇気がなかった自分。手を触り、おでこをなでることしかできなかった。抱かれることのないまま澄直は飛んでいった。澄直はどこにいるんだろう。親父である俺を恨んでるカナ。抱きしめてやるんだった。飛び立つ前に。オレには空を舞う子がいて、地を走る子がいる。地上にいる子を残して空を舞っている我が子を探すことはできない。だから苦しい。涙が止まらない。このことは、このオレと妻、いやもしかしたらオレにしか分からないのかもしれない。だからオレは一人で泣いた。泣きたかったから食堂で、タバコ室で夜空を見上げながら泣いた。それしかできない。

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12/5日記~看護士Aの魅力

今日は4回目の散歩。寝てばかりいたので行ってみようか、と思った。誘ってくれたのは、看護士Aさんだった。小学校でソフトボール、中学校でバレー、高校で空手をしていた看護士Aさんは、今もこの病院チームのソフトボールピッチャー、バレーのレフトアタッカーである。さらに相撲もしている看護士Aさん、最近はラグビーにも興味があるらしい。ラグビーか。オレもやりたいな。前から興味ある競技だ。ラグビーは、練習は走ってばかりで面白くないらしいが、試合は面白いらしい。地道な練習に耐えて試合を楽しむのがラグビーだと語ってくれた。体を動かすのが好きで、好奇心旺盛な看護士Aさんをみていると、オレも元気が出てくる。そしてオレにとっては以前書いた通り、久々の伝説の男だ。

看護士Aさんをみていると、体を動かすのが好きで、好奇心旺盛なところは、オレのかつての姿のような気もするし、あの人の良さやいい意味のマイペースさはオレにはない/つまり、オレの持たないものをもつ憧れの存在でもある。かつて、看護士Aさんの細かなプライベートも聞いた。今のプライベートは知らない。でも、今を楽しそうに生きている姿にさわやかさというか一種の羨ましさを感じる。自分に重ね合わせてみる。俺は俺である。俺が楽しいと思える日々を過ごせるような、そんな余裕/精神的余裕と言ってもよかろう/をここでもらっているような気がするし、楽しいと思える日々の余裕を、また取り戻せていけたら、と思う。また、いい方に出会えた。ありがとう。

蛇足:
昨日、②くんがオレに聞いた。「○○(私)さん干支は?」。「ん?トラ」。②くんが「あ~怒ったら恐いタイプだぁ。じゃあ、長男君の干支は?」と聞く。「ん?何だっけ?」と私。「え~知らないの~!じゃぁ、星座は?」と②くんが聞くので「知らねぇなぁ~」。「え~!」と、そこに④さんが2人の息子の干支と星座をスラスラ答えた。「あらーそういや、オレ、子どもの干支も星座も知らなかったわ」と思った。
そして今日、②くんが我が長男に聞いた。「○○(長男)、星座何か知ってる?」。すると、隣にいた次男と2人で「知ってるよ」と答え、2人の息子は揃って座った。そりゃ「正座」だ!!ちなみに、長男はタツ年のさそり座。次男はサル年のうお座だそうだ。

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俺の死は「今」じゃない。

重松清の『舞姫通信』を読了した。作られたカリスマ城真吾は言った。
「・・・・人は死ねます」「理由がなくてもいつでも、どんなふうにしてでも、人は死ぬことができます」。他方、教師坂本が書いた舞姫通信15号には、こういう件がある。「城真吾はただ一つのことだけを教えてくれた。人は死ねる。いつ。いつか。いつでも。だけど城真吾が教えてくれなかったことがある。「いつか」と「いま」を隔てるものは何であるのか。・・・・僕たちの「いつか」はどこにあるのか。誰も答えられはしない」(引用ここまで)。

「いつか」はオレも死ぬ。でも、その「いつか」は、オレにとって「いま」ではないと思う。それは教師原島のこの言葉に共感するからだ。
「親はな、子どもが生まれたときに思うんだよ、この子を苦しめるものがあったら、そのすべてから守ってやろう、この子が死にそうになったら、命をかえても救ってやろう」(引用ここまで)

亡くなった我が本当の長男「澄直(すなお)」の時、この子が助かるなら、妻が助かるならオレの命はくれてやる。だから、お願いだから救ってくれ・・・・と私は一晩中祈った。今、私の目の前にいる2人の生まれてきた子どもにも同じ思いを抱く。
だから、オレが死ぬのは「いま」ではない。死にそうになってもいない2人の子を前にオレが死ぬのは理由として成立しない。理由がなくても死ねる。でも、死ぬのが「いま」でないことは分かる。なぜなら、オレには「死ねない理由」があるからだ。だからオレは生きる。

ちなみに、教師原島はこんなことを言っている。
「そんな親から子どもを預かるのが教師だぞ。俺たちはそういう仕事をやっているんだぞ」。そんな子どもたちを前にしているんだな。私は。

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12/5日記~禁断症状との葛藤

昨夜10時30分就寝。7時起床。8時間30分睡眠。
昨日、「他人の退院日時決定の報を聞いても焦りはない」と書いた。でも、本当は心の中にあるのかもしれない。焦りというものが。12月に入り、「うつ」な時の自分をも認めることができるようになった時、随分気が楽になった。それは、自分のことを自分で見つめ直すことができるようになったこととも言える。一方で、この1週間、薬が変わることも治療の一切が変わることもない。気が落ち着きつつある自分に、入院生活上の何の変化もない日々が続くこと、これへの焦りというか、もどかしさを感じているのだと思う。
しかし考えた。病休をとりながら、これまでゆっくりすることのなかった私が、変化のない生活を送ることができるようになること、実はこれこそが、今の1つの大きな山なのではないか、と。変化のない生活/それは退屈である。動きたくなる。何かしたくなる。その衝動から解放され、変化のない生活、ゆったりした繰り返しの生活の中で、自分のことをまた見つめ直すーこれが禁断症状のような、いや単なるもどかしさだが、それを乗り越えようとしている自分がそこにあると思う。近くにいる人とは症状がそれぞれ違う。今の私(7月からの私)には走ることも、筋トレをなすことも許されていない(・・・・厳密にはやりたければやればいいのですが、疲れからガクッとくるので恐いのです・・・・)。今日、自分の裸体を見て、腕、胸、腹、肩とあらゆる箇所の筋肉がゲッソリと落ちていることを改めて鏡で確認する。それでも焦らないのである。少しずつ脳のオーバーヒートが冷めていくうちに、自然とその年齢と状況に応じた体力回復をはかれる日が来ることがあるだろう。その体力回復が今でないことだけは間違いない。全ての自分を肯定することは、口で言うほど楽ではない。しかし今、私は少しずつそうした考え方を身につけようとしている。

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12/4日記~自問自答の日々

7時20分起床。昨夜10時30分就寝。8時間50分睡眠。
昨夜は北京オリンピック野球予選、日本対台湾だった。他にもみたい番組が心にある人はいただろう。午後8時を過ぎる直前、ある患者が聞こえよがしに言った。「ここにいる病棟患者のうち、野球をみているのは4人よ。視聴率4%!」。俺には何を言わんとしているのか分かった。カチンと来て病棟に唯一置かれているテレビの前から自分の部屋へ入った。この病棟に入院して初めて自分の部屋に鍵をかけた。「何が4%だ。分母は30だろうが。計算もできねぇのか」、「どうしても見たい番組があるなら、はっきりと言えばいいじゃねぇか」。私はすねたようにして、「部屋から出て行かないよ。もうテレビの前には」という意思表示を鍵をしめることで示したわけだ。
というわけで、昨夜はイライラしていた。イライラしながら『ビタミンF』読了。ハッピーエンドは1つもない7つの短編小説に自分の姿を重ね合わせながら眠りにおちた。
今朝もさほど調子はよくない。朝食後は若干呼吸が乱れた。「また過呼吸か?」。そう思いながら、ニンテンドーDSに手を伸ばす。日本史トレーニングのゲームコーナーをする。30分ほどするうちに気分も落ち着いてきた。

今日は雨が降っていない。長男のロードレース大会だ。同年代と長距離を競争するのは初めてではないか。見に行って応援したかった。妻もビデオをまわすまで気をまわすことはないだろう。何せ学級PTAもあると言っていたから。来年は見に行こう(妻はロードレースをビデオに撮っていた。が、スタートは子どもたちが密集しすぎてどれが我が子か分からず、ゴールシーンは近くにいた保護者が思いきり画面を横切って塞いでくれた)。

最近、退院期日決定の報を耳にすることが多くなった。新年を自宅で迎えたいという思いもあるのだろう。退院の報を耳にして私に焦りはない。ないが、退院はしたいと思う。随分自分を見つめ直す時間をもらった。こんなに暇なことはここ10年なかったから。いろんなことを考え、聞き、自分に重ね合わせたり、自分を見つめたりしながら生活してきた。自分を見つめれば見つめるほど他の入所者の特徴や過去を探ることも減った。入院当初は、退院したら小説にでもできないかと思っていたからね。入院の日々を。でも、今は違う。自分を毎日観察している。自分で自分に聞いている。「今、どう?」って。その答えに「そうかぁ」と自分で相づちをうっている。そんな日がどこまで続くのだろう。この部屋。病棟で。

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12/3日記~院内散歩

病院では、主治医の許可がおりれば病棟外に出ることができる。但し段階がある。まず、看護士と一緒に散歩→単独散歩。散歩というのは病院の前の広場を歩いたり、日向ぼっこするのである→外出→外泊という段階だ。
私は天気がいい日だけ散歩しようと思っている。1日中室内にいると、太陽にあたりたくなるのだ。私のいる北病棟は殆ど太陽があたらないので、太陽を欲しがる気持ちは尚更だ。
初回の散歩は、看護士Bさんとだった。これまで自分が頑張りすぎたんだから、ゆっくり治せていければいいという話をした。2回目の散歩は看護士Dさんとスポーツについて主に話をした。3回目の散歩は看護士Eさんと。看護士Eさんには1才半のお子さんがいるので、子どもの話をした。
太陽がこれほど気持ちいいものか、と感じる。会話の内容はだいたい私が切り出す。その日の気分で。私が一方的に話すこともあれば、看護士さんの話にへぇ~と思うこともある。時間にして約20分。今は何事も根詰めすぎず、徐々にそして気が向いたら身体・心にあわせて動いていく。

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12/3日記~親の心・子の心

今、漫画を読んでいる。「うっちゃれ五所瓦」「わたるがぴゅん」「ゲイン」(なかいま強)、「ドラゴンボール(27~42巻)」(鳥山明)である。これらで65巻ほどある。漫画がこれほど面白いものとは知らなかった。
俺は漫画といえば、大学時代に寮で誰かが買ってきたジャンプやマガジンを読んだくらいだ。小・中・高と漫画を読むことはほとんどなかった。小学生の頃、キン肉マンが好きだった。筋ケシを集めた。それからチョロQも集めた。でも、思い返してみると小・中・高時代に記憶に残るほどはまるものがなかった。誰かにそういう影響を受けることもなかった。母に遊びを教えてもらった記憶はない。父とは家の前でサッカーをしたことが鮮明に残っている。サッカーゲームを買ってもらって一人でやっていたことも覚えている。友達と遊びに行くこともあまりなかった。というよりも友達が多くなかった。それを僻んだことはない。
今、重松清の『ビタミンF』を読んでいる。30歳代半ば過ぎの男性が我が子や我が子と同年代の子とどう接し、対応すればいいのか戸惑っている様子が描かれている。
俺もオヤジと小・中時代に記憶に残る話をしたことがない。中2の時、一緒にアパートを探したこと、中3の受験期、俺が志望校を変更したことについて話し合ったことは覚えている。オヤジの子どもの頃の遊びや趣味を聞くこともなかったし、まぁ、その頃は興味もなかった。

オヤジは30歳代からの30年をどう生きてきたんだろう。俺にはどんな子になってくれたらいいなという思いがあったのだろう。それともなかったのだろうか。俺は高校の時、バイクを盗んだ。それをオヤジと二人で返しに行った。あの時、オヤジと会話をしたり、オヤジから説教された記憶はない。どんな思いでオヤジは俺とバイクを歩いて返しに行ったのだろう。『ビタミンF』に出てくるオヤジみたいに言葉が見つからなかったのかな。
オレは母親から家から離れた所に遊びに行く許可を得た記憶は滅多にない。何度か頼んだが許されず、頼むことを諦めた記憶がある。そして、学校から家に帰らず、直接友達の家に遊びに行くようになった。一度帰ると許可されないような気がしたからだ。なぜ、遊びに行くことを許可しなかったんだろう。入院患者の②くんや①さんが「オヤジが畑してて、連れて行かれてイヤイヤやっていた記憶がある」というのは俺にはない。

つまり、私には趣味がなかった。「行ってきま~す」と遊びにいくこともなかった。何だか空白の時間のような気がする。だから大学に入ってから新鮮だった。好きなときに遊びに行き、バイクに夢中になった。一人旅にも夢中になった。ここに一つ趣味ができた。今、本を読むことが嫌いではない。これは社会人になってからだ。また一つ趣味ができた。かといって、オヤジや母を恨む気持ちは毛頭無い。「親の心子知らず」だったのだろう。

でも、聞きたい。「オヤジは30代からの30年をどう生きてきたのか?」、「オヤジは俺にどんな子になって欲しかったのか」、「母は俺にどんな子になって欲しかったのか?」「そのためにどんなことを考えて育ててきたのか?」
それは、これからのオレの課題でもあるからだ。オレは子どもに「好きなもの」をもってもらいたいと思っている。しつこいほど、あきれるほどでもいいから。勉強をひたすら頑張ったことは大した記憶にも残らない。勉強を不要と言っているのではない。学ぶ喜びや失敗が成功を産むことや反復することの大切さなど必要性を感じたものもある。でも、数十年後、あきれるほど好きなものをやっぱり持っていて、仕事とは別の楽しめるパーツを持てる大人になって欲しいし、私もそうなりたいと思うところである。

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2008年1月 3日 (木)

「弱い」ということ

昨年、私の職場では2人の病気休職者がいた。1人は私。もう一人は若手の方だった。9月頃、今の職場に4年勤める同僚が、若手の病気休職者のことをこう言った。

「弱いなぁ」
と。このことを私に教えてくれた方は、私にも同じ言葉が発せられたかどうかは言わなかった。でも、まぁ私にも同じ言葉が発せられていても不思議ではない、と私は思う。そして、これから職場に復帰したときにどこからか、「弱いなぁ」という言葉が耳に入るだろうとも思っている。
「弱いなぁ」と若手に言った同僚も、これまでの在職中に相当の辛酸をなめてきたことを私は耳にしている。だから、同僚から出た言葉の意味は理解できるし、否定もしない。

この「弱いなぁ」という言葉は、私に言わせると「部活動の論理」に例えることができる。先輩が後輩をしごく。そのしごきに耐えた者が今度は後輩をしごく。そのしごきに耐えられない者は「俺たちも先輩からしごかれてきた。これに耐えられない者は弱い」と言われるだろう。
しごきに耐えられなかった者が弱いという、いわゆる「部活動の論理」。耐えた者は、よく耐えたと思う。私も部活動でそういう経験をしてきた。一方で、“耐えられないものは耐えられない”と表明することを私は「弱い」とは思わない。耐え難いものに素直に耐えられないということは、素直なことであって「弱い」ことだと私は思わない。
この「部活動の論理」は、「いじめの論理」にも応用できる。最近は耳にしないが、かつていじめで不登校になった生徒に、「昔もいじめはあった。でも今の子はいじめがあるとすぐ休む」という言葉を私は直に耳にしたことがある。いじめの耐えられない状況に耐えられないと示すことは素直なことであって、「弱い」ことだとは私は思わない。

しごきに耐えた先輩がしごかれる後輩を前に何をしたか?そう問うことも可能。しかし、私は先輩への責任転嫁のようなことは望まない。「お前は弱い」と言われたとき、「弱いです」と認めてよいと思っている。ただ、その弱さは素直な弱さであって、肯定されてよい「弱い」だと私は思っている。
だから、私は「弱い」と言われたら「そうですね」と認める。そして、「でもその弱さを私は否定してはいません」と答えるだろう。また、「もっと強くならなきゃ」と言われたら、やはり「そうですね」と認める。そして、「でも、今の私を私は否定していません」と答えるだろう。

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入院こぼれ話~入れ歯編~

入院中は原則として食堂で皆さん食事をとります。食事を終えると配膳コーナーに食器を持っていきます。食べた量や残した量は看護士さんがメモしていきます。

ある日、私が食事を終え食器を配膳コーナーに持って行くとき、「ナニコレ?」と一人の看護士さんが食べ終えた人の食器の中を覗いています。私を含め数人の看護士さんと食器の中を見てみると、「サラダ?いや違うなぁ~ん?」。なんと、それは入れ歯!!「誰の?誰の?」という話になり、○○さんではないかということに。部屋にいた○○さんに聞いてみると、「お~忘れとった!」と配膳コーナー前でパカッと入れ歯を入れて、また部屋へスタスタ・・・・。危うく入れ歯が残食扱いになるところでした。
入院中、個人の所有物には全て記名するよう言われるのですが、さすがに入れ歯に記名はしていませんから。
別の日には、別の患者さんがいただきますをして箸を持ってから「あ、忘れた」と看護士さんに頼み事をしていました。忘れたものは、これまた「入れ歯!」
他にも入れ歯を他の人と間違えてしまいそうになったり・・・・と入れ歯は記名しないし、普段はめていなかったりすると、「ついうっかり!」のパーツのようです。

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懐かしいなぁ~バイクの思い出

今、私のメル友の連れ合いさんが大型バイクを欲しいと言っているそうです。原付しか乗れなかった連れ合いさんが、一気に大型目指して自練に通っているんです。メル友さんはお金はかかるし、ケガも心配等々、バイクに賛成していませんが本人はもうその気だと。

バイクと言えば4年前私もバイクでもらい事故をしました。車にはねられちゃいました。私は吹っ飛びゴロンと一回転。ヘルメットは後頭部がヒビ入っていました。で、救急車に初乗り。右手親指と右脚が痛かったのですが、骨に異常なし。ということで、その日昼から予定されていた家庭訪問にも行きました。車を同僚に運転してもらって。右手包帯グルグルで脚を引きずりながら家庭訪問すれば、どの家でも聞かれます。「どうしたんですか?」と。「いやぁ、車にはねられちゃって(笑)」と答える私にどの親御さんも引いていました(笑)。

で、家庭訪問が終わり、大破したバイクを自宅に持ってこようと歩いて現場に行き、バイクを押して帰りました。でも後輪がヨレヨレで上手く押せない。そんな時下り坂にさしかかり、「ここは押すより乗っちゃおう」とエンジンのかからないバイクに跨って坂道を下っていると、「そこのバイク左に止まりなさい!」と後ろから声が。見ると警察でした。いつもこんなとこ警察いないのに・・・。ノーヘルでバイクに跨って坂道を下っていた私。事情を説明すると警察は「免許証見せて」と。バイクに乗るつもりのなかった私が免許証をもっているはずありません。ボロボロのバイクにノーヘルで跨る免許不保持者・・・・明らかに警察の目はこう言ってました。「バイク窃盗だろ!」。必死に事情を説明し、警察署にバイク所持者の照合までされて、身の潔白は証明されました。ということで、「押して帰りなさい」と注意され、押して帰る私。それをパトカーは私の自宅前まで尾行してくれました。よほど怪しく見えたんでしょうなぁ。

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2008年1月 2日 (水)

生きてます!

新年あけましておめでとうございます。つつがなく新年を迎えております。今年は奄美にて正月を迎えました。が!奄美は晴れたかと思うと大雨。2階建ての我が家(築10年)の家がミシミシ音をたてて揺れるほどの風が吹いています。ということで、家にいます。年末から年始にかけて、北条民雄「いのちの初夜」、太宰治「人間失格」と読み直し、今ナゼか「古事記」を読んでいます。家の中にいて大して何もしていませんが、腹は減ってきます。生きてます。

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2008年1月 1日 (火)

大晦日に想う。

 間もなく2008年を迎える。1年前の大晦日、私はジョギングをし、調査書を書いていた(と思う)。2007年、感動をもらい、支えをもらい、別れを惜しみ、新たな生活に胸を躍らせ、いろんな場所に行き、新しい出会いがあった。

 「死」の悲しみと後悔の経験をもつ私が、「死」を考えた年でもあった。1年前の私と今の私は同じ「私」だが、その中身は随分変わったと思う。でも、私はその変化を肯定する。2008年。それは、2007年やその前の私とは違った「私」として生きることになるかもしれない。それでいい。

 今日は紅白歌合戦をみた。コブクロの「蕾」、ドリカムの「ア・イ・シ・テ・ル・のサイン~私たちの未来予想図」、秋川雅史「千の風になって」、馬場俊英の「スタートライン」に涙した。聴き入った。コブクロの「蕾」は、亡くなった母への歌。ドリカムは吉田美和さんが9月に連れ合いさんを亡くされた中で歌いきった。秋川雅史さんの歌は、入院中から私の目を空に向けてくれた。これらの歌詞に共通するのは、「死」だ。そしてどの歌にも「悲しみを乗り越える」などという台詞はない。馬場俊英さんの歌にも「乗り越える」という言葉はない。馬場さんの詩には、「信じる」「変わる」という単語がある。

 今の私を乗り越えた2008年にしよう、と私は構えない。私は、「まだどこかへ辿り着く途中」であり、その辿り道の過程での変化を信じようと思う。「乗り越えなくでもいいじゃないか」。私が私であることを、弱さをもっていることを、それが私なんだから。弱くてもいい、形に残そうとしなくていい、背伸びしなくていいから。

あっ・・・・2008年になっちゃった。歩こう。今年は歩こう。そうして景色を見よう。今の私は走れない、戦えない。いいよ、笑顔で歩こう。それが、今の私に何より大切だと思うから。

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2007年12月31日 (月)

12/3日記~どん底みたんだもん

天気雨。昼から晴れるらしい。昨夜10時40分就寝。7時20分起床。薬の時間を22時にしてから眠ることができるようになった。薬も追加されて。
昨日は、久しぶりに「ちびまる子ちゃん」に「サザエさん」に日韓野球とテレビをみた。大笑いはしなかったが、サザエさんをのんびり観ることなんてなかったから。

今日は雨。雨の日は調子の悪い日が多い。今日はどうでしょう。どんな1日も1日。そして、どんな調子でも私は私。調子に、つまり自分の心と身体に素直に対応できればね。それでいいのよ。昨日の看護士Cさんとの話から自分の中で吹っ切れたというか、割り切れたものがあると思う。
昨日、妻が「俺は回復しているんだ!」という断定調はやめた方がいいんじゃないか、という話をした。たしかにそうだと思う。自分の状態を絶対化しちゃいけねぇな。
“今日はいつもより調子が悪そうだな。ま、そういう日なのよ。それを素直に受け止めよう、いいんだよそれで。”って感じかな?
「お互い頑張りすぎたのよ。自分を追いつめすぎたのよ。それは言い換えれば、他人をあてにせず、自分だけと思っていたってことなんじゃないかな。それを自分も他人もひとそれぞれで、それぞれにペースがあって、それでいいんだよ、ってことをこの入院を通して気づくきっかけにできたんじゃないか」
そういう話を私が入院中最もよくしてもらっている①さんや②さんと話した。仰るとおりだと思ったよ。みんな頑張りすぎて絶対化しすぎて、自分を追い込んだ。だからペース乱しちまったんだよ、お互いのペースに戻そうね、って。
教育の仕事が聖職だとは私は思わない。聖人化することは絶対化することだと思うから。でも、教育に携わる私を応援するって言ってくれる2人に私は嬉しく思う。たとえ教育に携わらなくなっても、自分を、他人を認めることができる2人なら、私はそれで十分。やはりこういう人たちを大切にしたい。
①さんが言った。「我々どん底見たんだもん。広く見られるよ。これから。」という言葉に私は納得した。

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2007年12月30日 (日)

12/2日記~子どもがいたんです。

昨夜、薬を待っていた10時ごろ、タバコ室で⑦(30才)さんと二人になった。「お子さんかわいいですね」と私に彼女が言う。何回この台詞耳にしただろう。そんなとき、彼女がおもむろに口を開いた。「私にもこどもがいたんです。」と。「子どもがいた?」とはどういうことだろう、と私は心の中で呟く。「は?」と私が聞き返す。「今、小6と小4」と彼女。「いくつで産んだの?」と私。「上の子は18」。離婚して6年という。「子どもに会えるの?」と私は聞いた。「会えない。声を聞くこともできない」と彼女は言う。子どもが4才と2才の時にバイバイしたという。夫婦の浮気喧嘩から彼女は体調を崩し、お互いに「病院に行け。おかしい」と言いあいながら、彼女が病院に入ることになったらしい。
彼女は娘2人の話をした。彼女の覚えている娘たちとの思い出、現在の娘たちの様子。子どもたちが20才になったら会えるとのこと。元夫とは連絡をとっていて、子どもの様子も聞くらしい。夫の両親に養育されている。夫の両親が娘たちを大切に育ててくれていることに彼女は感謝していた。
「会いたいでしょう」と私。この問いに「今は会わせる顔がない」と彼女は答えた。その理由まで深追いしなかった。彼女が彼女自身をどう思っているのかが、私にも分かったような気がしたからだ。彼女は娘たちの成長ビデオもあるので見てみたいと言っていた。
ここでステーションから私に「薬を飲め」の合図。別れ際に彼女は言った。「こんな話、私明日は忘れてるから。でも、この話するの何年ぶりだろう」と呟いた。
昨夜彼女が話したことを、本当に彼女は覚えていないかもしれない。でも、彼女の心の中には4才と2才の我が娘の姿が残っていて、そこで止まっていて、結婚生活も含めて残っているはずだ。私は我が子とバイバイした4才と2才の子のこと、そのときの思い、若い彼女のそうした過去にズシリと思いものを感じた。彼女は別れて気づいた、学んだことも沢山あると言った。その内容まで私は深追いしなかった。そして彼女はこう言った。「でも○○(私)さん離婚しちゃだめよ」と。
彼女の淡々とした言葉の裏にある重いメッセージだと思った。布団に入ってからも、幼い我が子と別れ、もう8年も子どもとの記憶が止まっている彼女のことを胸に重く感じた。そして「信じられない」という言葉が心を巡った。私は薬を飲むためにタバコ室を出るとき、彼女に何かを言おうと思った。でも、言葉が出てこなかった。何も言えなかった。

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12/2日記~退院の基準②

午前7時30分起床。昨夜10時40分就寝。またもや便秘気味だ。薬の副作用であろう。
ところで、昨日看護士Cさんと退院について話をした。何を決め手に退院を考えればいいか、と。結論から言うと、心の沈みが減ってきたときには退院を考えてよいのではないかと言ってくれた(後に考えると、これは「うつ」の回復推移グラフの考え方に矛盾していると気づいたが)。
いわば、これまで常に何かをしてきた、休むことを休み方を知らない私が、「今日は何もしたくない。しない」とか「楽しくなる趣味の時間を惜しまない気が持てる」ことを、今ようやく治療し始めたのだと感じる。うつ病でなくとも、イヤになることや何もしたくないことはあるわけで、そういう時にある意味割り切って転換できるか、これだろう。
常に完璧であろうとトップであろうとしてきた私が、ゴーイングマイウェイに方向転換。落ち込みつつ回復していく。これは面会での妻との話。家族というコアだけは大切にしていければ、そして私が私を認められれば、それでよいと思う。
最終的に気分の落ち込みのなしを退院の基準とはしない。それは回復の一つだ。気分の落ち込みを許せる自分が来たときが退院の基準ではないか、と私はそう思う。そうすれば、私は自宅で落ち込んでも荒れたり、暴れたりすることは減るだろうと思う。“再発しないように”と断定しない私になりたい。看護士Cさんと話して随分気が晴れた。

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12/1日記~監禁病棟へ

一昨日から⑥さん(女性)が入院した。アルコールであることがすく分かる。たばこも規制されているようだ。病棟内では重症だ。何しろ部屋にいない。タバコ室でタバコを拾っている。落ち着かず、ご飯を食べ終わる前にウロウロしてしまう。治癒するとどんな人なんだろう。そう思うほど落ち着かない。⑥さんは翌日監禁病棟へ行った。仕方ないと思う。

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12/1日記~退院の条件

午前7時起床。昨夜10時40分就寝。冬空の曇り晴れだ。風強し。昨日、スタッフに2度噛みついた。それを振り返って感じること。昨日はスタッフも忙しかったのではなかろうか。私が入院したとき、スタッフの雰囲気がいいと思った。それはステーションに和やかな笑顔があったから。私が入院したときだって忙しかったろう。でも、昨日スタッフに笑顔があったかな?スタッフも疲れているんだろうな。入院したとき、あんな和やかな職員集団は久しぶりだった。そうした雰囲気は私もかつて職場で経験したことがある。あの1年担の時や3年担の時も和やかだった。和やかさや余裕は伝わるものだろうな。

タバコ室で④(36才)さん、⑤(72才)さんと退院の話になった。④さんは不眠症で入院2ヶ月契約だったので12月15日に退院とのこと。⑤さんは疲労で入院したので12月20日ごろ退院予定とのこと。任意入院なら本人・家族が希望し、主治医が許可すれば退院できるとのこと。④さんと⑤さんは、ここで患者するより退院した方がよいのではないかと言ってくれた。俺は、どうなれば退院を決意すればよいのだろう。職場復帰の問題は型がついた。「死にたい、消えたい」という思いは消えた。あと何が必要だろう?ゆっくり過ごすことのできる生活リズムの定着か?気分の落ち込みの快復か?休職が怠けでないとはっきり言えることか?できることなら家族と過ごしたい。家族と過ごすことで、いや自宅に帰ることで「行動義務」や「行動結果欲」が出ない状態とは、何をもって判断すればよいのだろう。退院のタイミング。通院への切り替え。それは何を基準にしたらよいのだろう?今は答えが出せそうにない。

・・・・入退院については、精神保健福祉法に①患者の自発的な意思に基づく入院(任意入院)、②二人の精神保健指定医が患者を診察し、入院させなければ患者が神経症状のために自傷や他害するおそれがあることで判断が一致した場合に都道府県知事が矯正的に入院させる措置入院、③措置入院ほどの急性症状はないが、適切な治療を行い患者を保護するために入院が必要と一人の指定医が判断し、保護者等が同意した場合に矯正的に入院させる医療保護入院があります。②と③には強制性が伴い退院も指定医、保護者の承認が必要です。私は①任意入院です。・・・・

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閉鎖病棟ってこんな感じ。

20071220_3 病棟内には個人部屋と4人部屋がある。私はずっと個人部屋だった。写真は私の部屋である。入口は木目調。車椅子でも入る広さだ。カーテンはピンク色である。布団は薄く軽いので、長時間寝ると腰が痛い。ただ、ベッドも木目調でベッド下に収納付き。奥の机は白。大学のゼミ生の机のようだ。棚は紬柄の正方形型の模様だ。当初は、この紬柄だけ冴えないと思っていたが、しばらく経つと落ち着いた感じがしてくる。
病棟内には共有スペースがある。そこには、大きなテレビと籐の椅子が10脚ほど。さらに籐の板間が3m四方ほどテレビの前に広がっている。広々した空間だ。
食堂は白い丸い机が5脚。長方形机が1つ。配膳コーナーで名前を呼ばれたら食事を受け取る。全てのテーブルに一輪挿しがある。食事もバラエティーに富んでいる。例として11月30日の献立を挙げよう。野菜が多いのと味はやや薄めなのが特徴だが美味しい。
朝:ロールパン・ボイルウインナーとソテー・牛乳
昼:魚フライタルタルソースかけ・おかず金平・ご飯
夕:豚肉生姜焼き・味噌汁・落花生煮物・漬け物・ご飯
食堂に隣接する喫煙室は空港にあるものとさして変わらない。風呂は脱衣場が6畳ほど。籐が敷いてある。中に入るとシャワーが5つほど。床は石である。週に2回大風呂(5m×2m)程に浸かることができる。
トイレは半自動ドア。自動照明・自動洗浄。病棟内の電球は全て肌色電球にカップがかぶせてあり、暖かみがある。
病棟を見学される方や面会の方が「ホテルのようだ」としばしば口にする。確かに綺麗で広い。病院の白というイメージより木目調が多いというのも特徴だろう。
娯楽はテレビ・卓球・トランプ・花札・雑誌などがある。週2回はおやつの日。たまにカラオケの日なんてのもあったりする。と、病棟はこんな感じである。
但し、私のいる閉鎖病棟は、今紹介した場所以外に許可なく出ることができない。外へ出るには2枚の扉の施錠を解除しなくてはいけない。個室の部屋窓は開く。が、3cmほど。窓の開きは微々たるものだが、個室・食堂などガラス越しに外の風景を眺められる。ただ、閉鎖であり、北病棟だけに太陽の光を浴びたいという気持ちにかられる。

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11/30日記~ヒモ騒動。ハァ?

今日は晴れた。病棟に僅かに差し込む太陽の下でしばし読書をした。鉢の花にも陽をあててあげた。③さんが退院した。昼寝をしていた僕は彼を見送ることができなかった。退院した③さんは、どんな気持ちだろう。希望と不安か。
午前10時に院内散歩を申し出た僕は外の太陽の光を浴びたかった。しかし、午後3時を過ぎても何の連絡もなかった。・・・・この時の私は看護士同伴院内散歩しか許可されていませんでしたから・・・午後3時に陽は陰った。もう散歩はいいと思った。が、看護士Bさんとともに外に出てみた。風が強くて寒い。暖かな陽射しは消えていた。この寒風が今の僕のようだ。温まるものを感じない。いや、一つあった。それはシャワーの湯。何時間でも浴びていたいほどだ。
部屋に戻ると妻と子どもが面会に来ていた。しかし、持参した着替えのジャージの腰ひもは許可できないので抜くようにと看護士に言われ、既に抜かれていた。私は激怒した。ひもをつけて着る服のひもを外せということは、その服を着るなということに等しい。看護士さんはベルトも許可していない、ゴムを替わりに入れてあげますと言ったが、納得はしなかった。靴ひものある靴を履いている患者がいる。靴ひもからひもをとったら靴の用をなさない。服にひものついている人もいる。ひもには用途があるわけだ。ゴムを入れることはジャージの体を変えることになる。ならば、靴もひもをはずすべき。激しく私は抗議し、ひもは認められた。用途以外にひもを使わないことを条件に。しかし、用途として使うひもを外したら使えないわけだから、当然ながらそんなことをするはずがない。
私の怒りは収まらなかった。①さんや②くんが「ここは俗世と違うから規則も変わったものがあるのよ。そういうもんだ」となだめてくれた。用途通りに使っているものを禁止されるのは、やはり許せなかった。用途以外に使う人もいるかもしれない。しかし、用途通りに使う物が俗世と違う理由で許されぬのならば、俗世から離れた格好に統一すればいいのだ。
他人からみたら何でもないことだろう。しかし、私にとっては自分の服装から信用されていないと感じて不愉快だった。今日は1日笑った記憶がない。でも、看護士さん方はよくしてくれていると思う。私はイライラしている。何に?誰に?
今日は自分を見つめる余裕はなかった。余裕が欲しい。

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11/30日記~「しなきゃ」からの脱却

今日で11月が終わる。7月17日の病休から4ヶ月以上が経過したことになる。昨夜8時30分に寝て、今朝6時10分に起きた。9時間40分の睡眠。アタマはすっきりしている。スッキリな気分だけに動きまわったり、ペースアップしないよう、スローライフと自分の時間を大切にしたい。
ここまでの4ヶ月。「畑をしなきゃ」「副収入をえなきゃ」「本を読まなきゃ」と「~~しなきゃ」で過ごしてきたような気がする。「~~したい」と思って始めたことも「~~しなきゃ」に変わってしまったと思う。残り3ヶ月。「~~したい」と思う気持ちを待つ。「~~したい」と思わないことも「~~しなきゃ」と思わないことも怠けではないことを、私のいいところって何なのかを探して行けたら、とそう思う。私のために、家族で過ごしていけるなら。

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11/29日記~肥料・待つ・・

佐々木正美『相田みつをー育てたように子は育つ』を読む。私の気に入った相田作品。

・「肥 料」   新版『いちずに一本道いちずに一ッ事』所収
 あのときの  あの苦しみも  あのときの  あの悲しみも  
 みんな自分の肥料になったんだなぁ  じぶんが自分になるための  みつを

ー怠けているように見える時間は、大抵は心のエネルギーの充足のために必要な休息の時間なのだ。休息のあとに続く思索や活動のために必要な、本当に必要な休息なのだ。どんなに長く続く休息に見えたって本当に必要な時間なのだ。そのことは、本当に十分の休息を与えたあとになってみるとよく分かる。分からないのは不十分なうちにせきたてて次の活動に追い込むからである。本当に必要な休息や回り道の時間なのに、誰かが怠けているなどというものだから、やがてその子は本当に怠け者で存在価値がない人間だと思いこんでしまう(佐々木解説)ー

・「待 つ」   『人間だもの』所収
待ってもむだなことがある  待ってもだめなこともある  
待ってもむなしきことばかり  それでもわたしはじっと待つ   みつを

ー休息の「現在」であれば、その現在を静かに見守っていてやりたい。休息が終わって活動を再開するのを、いつまでも待ってやりたい。はた目には待っていたことが無駄だったように見えても、かけがえのない親子のような関係のものにとっては、苦楽を分かち合った者にしか分からない存在の重みの感動が必ず残る。だからじっと待ってやりたい(佐々木解説)ー

・「そのままで いいがな」   相田みつを美術館蔵
そのままで いいがな

ー無条件の承認、子どもへの最高の愛情表現。条件付きの愛情が大きければ大きいほど、子どもは相手に対する不信感を大きくして、自分への劣等感も大きくしていく。「できなくたっていいんだよ。待っていてやるから」(佐々木解説)ー
ー自分の胸に手をあてて考えてみれば分かることではないか。そんなどうせそうそう簡単に直すことのできない欠点は、そのままにしておいて、長所のほうを見つけ出してやれば、子どもはその長所を頼りにして生きていける(佐々木解説)ー

佐々木正美と相田一人の対談から
・自分の家族を大切にしないで一生懸命医学の研究をしている人なんて偽物だ。自分の家族を大切にしないで患者やその家族を大切にできるはずないですよ。(佐々木)

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11/29日記~会話の宝箱

今日も午前2時起床。2時30分に薬をもらう。3:15、3:30、4:00、4:15、4:25と目が覚め起床。昨夜の晩からタバコに手をつけた。喫煙室(タバコ室)は会話の宝箱だ。いろんな経験や体験をした人たちと会話ができる。考え方も様々だ。最近、とみに思う。同業者の友達はほんの少しでいい。というかそんなにいらない。異業種の人がおもしろい。
ここ数日夜中に目が覚めてしまう。それから入院1週間。体力の衰えが顕著だ。散歩は面倒と思っていたが、そろそろお願いしよう。
今日は朝からぼーっとしている。食欲が無く、何も手につかない。午前8時30分~12時まで寝る。午後もゴロゴロ。
今日は診察の日。Ⅰドクターから、まずは落ち込んでいるうつ状態を脱することに専念するために、せわしく動かないことに。睡眠薬を今までの午後8時服用ではなく、10時に飲み、薬を変えることで眠れるようにしてみることに。
今日はバイク雑誌を買ってきてもらった。雑誌をみて懐かしさに少し気も晴れる。でも、そもそもこれを書いているのが、もうきつい。

・・・・私の入院した閉鎖病棟は自由に外出や散歩はできません。主治医の許可を得た上で、看護士同伴の院内散歩→単独院内散歩→単独外出→外泊と段階を踏むことになっています。単独で病棟から出た場合、病棟に帰ってくるとボディチェックが必ず行われます・・・・

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11/28日記~はえぇ!

ここの食事は、朝8時。昼12時。夕18時である。しかし、10分程前からもう食堂には人が集まりはじめ、定刻前に食事が始まることが多い。ここの患者は何より食うのがはやい!18:10には食堂にオレしか残っていない。行動は遅い人が多いが、食うのは早いんだ。
今日の夕食には、人参と大根とインゲンとネギが入っていた。うちの畑はどうなっているかなぁ。この1週間で畑も変化しているだろうなぁー。

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11/28日記~家族と暮らせるなら

面会にきた妻が言った。「家族と暮らせるなら、どこでもどういう形でもいいじゃないか」と。「オレがムリしてムリな仕事をするとか、そんなことより自分ーオレがいいと思っている仕事で家族みんなで暮らすのが一番だ」と言っていた。

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11/28日記~伝説の男、看護士A!

看護士Aさんと話す。私のいる閉鎖病棟は新患や症状の急激な変化した患者が入って来るという。様々な患者がいるため、セキュリティや規則が厳しい感じになるようだ。
ところで、看護士Aさんは様々な伝説を持つ、私が出会った久々の「伝説の男」だ。
看護士Aさんの伝説
・手首骨折事件:空手をしていたAさんは、試合中骨折した。ギブスをしたが、夏の暑さにガマンできず自分でギブスを切って生活。冬に痛みがひどくなり、病院に行ったらボルト固定の手術だった。
・ピアス事件:昔ピアスを開けていた。安全ピンで穴を開け、釘のような太い金具を穴に入れ込んだ。数時間後に穴が開いたと思い太い金具を外したら大出血した。そこでまた太い金具を入れ直したらしい。・・・・これはかなり痛いはずです・・・・
・理科の実験事件:中学の理科の授業の時、バーナーで鉄片を燃やしてからふざけて上に放り投げたら自分の左腕に落ちてきた。火傷で鉄片が剥がれず苦労した。当然理科の教諭にこっぴどく叱られている。
・海で足を切る事件:海が好きなAさんは、ある日テトラポットで足を滑らせ足の指裏を切ってしまう。県立病院で「歯ブラシしてもいいですか?」と言われ、要領を得ないまま「はい」と言ったら、歯ブラシで傷口をゴシゴシ洗われたらしい。激痛だったと言っていた。その後縫合するわけだが、足先は麻酔も効かないので麻酔なしで縫合。激痛過ぎて5針縫う予定を3針にしてもらった。ちなみに抜糸は自分で切ったと言っていた。
・頭切れた事件:痛みに鈍いせいか、頭を切っても病院にいかず自然に治そうと思ったらしい。シャンプーの際、痛いと思って傷を思い出しながら洗う生活をしているうちに治ったとのこと。
・兄の部屋事件:兄の通った高校は十数年前最も荒れていたらしい。授業が終わり、先生が教室を出るとすぐ一斉に喫煙。次の授業の先生が来ても、教室は煙モクモクで誰が吸ったか分からない状態だったらしい。そんな兄は自宅に部屋を持っていた。そこは兄の友人のたまり場となり、酒にたばこをやっていた。ある日、母が夕食なので兄らを呼んでこいとAさんに頼んだ。部屋に行ってみると、タバコの消し忘れと吸い過ぎで、兄たちは煙を窓から外に出そうとしていた。もうそれは軽くボヤのような状態だったらしい。カーペットにも火が落ち、もみ消したが消えず、折りたたんで消そうとするが、それでも消えず、水をかけて消した。数年間、そのカーペットは兄のタンスの下敷きにしていたが処分しようということになった。兄とAさんは証拠隠滅のためカーペットを燃やそうとした。木の葉を集め火をつけるが燃えない。仕方なくガソリンを購入し、適当にカーペットにまいた。遠くからライターで火をつけるが燃えない。仕方なく兄がガソリン部分に手を伸ばして火をつけると・・・・一種の爆発!兄の腕毛はチリチリに。無事火は消えた。カーペット処分成功。

とこんな感じの伝説は数知れず。私は大爆笑だった。笑う門には福来たる。ありがとう。看護士Aさん。

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11/28日記~ネオリベと彼の不安

③さんと話す。彼は関東の郵便局に勤めている。7年ほど前からアルコール依存症を自覚する。寝入の悪さや夜を明かして友人と酒を飲むうちに依存症になった。
③さんは、3ヶ月の休職で入院している。その際、職場から「病人はいらない」と言われたそうだ。つまり、しっかり治してこいという意味だと言っていた。
郵政民営化によって、これまではクレームや不手際の際、注意や始末書で済んでいたが、今後は金銭分与に影響するという。すなわち、4ヶ月に一度査定があり、S~Dのランク付けがなされる。ランク付けの基準はクレームや不手際の多寡によるという。ランクが高ければ部署に多くの配当がなされる。低ければその逆だ。また、これまで営業部員が行っていた営業も今後担う可能性があるという。これも貢献手当といい、成果が賃金に反映される。まさにネオリベの典型だ。そして何よりもこれまでとの大きな違いは、成果が出ないときにクビを切られる可能性があること。
不安はあるか?という私の問いに「すごくある」と彼は答えた。顧客への対応、成果を求められる職場への対応。“郵便局をよりよくしよう”ではなく、“個人の成果をよくしよう”というシステムへの転換への戸惑い。彼は近く退院する。1ヶ月の自宅療養後、16年務めた関東へ戻る予定である。

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11/28日記~幹根は揺れない

午前2時30分に目が覚める。睡眠導入剤をもらうが、3時30分までウトウト。3時30分にお茶。その後また横に。4時20分起床。眠入りは昨夜9時30分過ぎと早かった。5時間睡眠くらい。夜が早いと朝も早いんかな。4時30分にまたウトウト。起きたら8時!朝食です。
今日も雨。風も強い。食堂から外を眺める。風で枝が揺れている。大きく。でも幹根は揺れない。幹根に近い枝も揺れない。外野の枝は揺れる。目に入る、今日は風があるんだな、と。でも幹根は揺れない。あの部分だけで周りの風は判断できない。
俺は幹根が欲しいんだよ。いや、欲しくはない。幹根になっちゃうの。枝葉の揺れはうるさいし、重いし、うざったいけど、幹根は折れない。折れるとしたら枝だ。そして風は止む。

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2007年12月29日 (土)

11/27日記~批判は存在を証明する!

病室を移動した。101号室になった。

13時45分、私の職場の長が面会に来た。私が1月復帰をする場合、元のポスト、つまり担任復帰で考えている。私の希望によっては、担任復帰しないことも勘案。現在、職場には私を含め2人の病休者がおり、自習が多い状態(私の授業は時間講師が入っているため自習は少ないはず)。病休が2人いることは理事会でも批判の声がないことなく、自信をもって1月復帰できると言える状態に生徒・保護者ともない。
私自身は職場に「迷惑」をかけていると思っているようであるが、迷惑をかけていると思う必要はない。「迷惑がかかっていないことはない」が、お互い様であり、長自身も体調不良の時には、“これは休め”ということだと考えている。
私は調子が良いときは業務できるだろうが、調子が悪い時に休むであろうこと、さらに再発がありうるので、担任としては責任が持てる状態にない。そういうことを勘案すると今年度お休みして、来年度に備えたい、と言った。
来年4月以降も休職が続く場合には、人事上のことも考慮したいと長が言ったので、“具体的にどういうことですか”と私が問うと、“人事のことなので推定では言えない”という返答だった。
長は保護者・生徒からの病休に対する批判には、フォローをすると言ってくれた。同僚の非難などは考えられないと言っていた。“復帰に向けてのペース配分で今回はつまづいてしまった”長は私のことをそう表現していた。したがって“来年度に向けてしっかり休養をとって復帰に備えて欲しい”と言っていた。

14時30分、私の職場の副が面会に来た。まず副と主治医が私の経過を話していた。副は私に会ってまず、「ふっくらしたねぇ」と言った。「ゲッソリしていた時期を見ていたからですよ」と私は答えた。主治医との話から休職に入ることを確認。「4・5月と張り切って頑張ったもんねぇ。オーバーヒートを起こしたわけだから」と副は言った。さらに副は続けた。「同僚としては必要な戦力。休養して復帰して欲しい。」と。さらに、副は事務的なことは分からないが、と前置きした上で、「休職で給料は減るけれども、身体が大切。身体のためにしっかり休養をとって復帰して欲しい」と言った。私が復職に際して、生徒や保護者の目、声があることへの不安について話すと、副はこう言った。「誰も休職中の私のことを口にしない状態の方が問題でしょう。話題に上がるということは、存在があるということ。プラス思考でいかなきゃ」と。
オレは正直、怖い。復職時の同僚が、保護者が、生徒が、そして自分が。今までにない世界に足を踏み入れるわけだから。だけど、先の副の一言は“怖がることないよ”と教えてくれているようだった。まさにそうなのだよ。批判される、揶揄される、嫌み言われる・・・・その他、私に向けてのプラスの台詞もマイナスの台詞も、病休中の俺の存在が相手の心の中にあったんだ、気にしていたんだと考えられる。マイナスの台詞は痛いだろうが。でも、これってすごく大事なことじゃない?「批判は存在を証明する」ということだ。名言だよ!号泣しちまったもん。病気になったんだもん。これは覆らない。

副を見送った後、コーヒーを持って椅子へ。「迷惑がかかっていないわけではない」「批判がないわけではない」という長の二言が心にズシッと残った。そして、“迷惑をかけた”“批判を受けた”この1年は俺にとって意味がなかったのではないか、つまり1年1年を大切にしてきたつもりの俺にとって、今年は“ムダ”な1年に思えて、沈み込んだ。
そんな時に看護士Aさんが私の背後から声をかけた。「どうされましたか?」と。私は今日の経緯を話した。それに対して看護士Aさんは否定した“この1年はムダではない”と。まず、ゆっくりすることを学べた。私は仕事をしつつ遊びも楽しんでいる看護士Aさんのライフスタイルに入院当初から憧れていた。看護士Aさんは言った。「ここに入らなければこのライフスタイルを知ることもなかったよ」と。そんな看護士Aさんも1年半前に離婚し親権も失った。1年はその失望を引きずったという。しかし、「その1年があって乗り越えた自分がいる。だからその1年はムダではない」と言った。
そんな看護士Aさん、今は夜光貝のペンダント作りに凝っているという。その夜光貝も弟さんと自分たちで取りにいくというからオドロキ。夜光貝を機械とやすりで削り、研磨剤をかける。こっそり看護士Aさんの携帯で写真を見せてもらった。いろんなデザインのものがあって、何より本格的だ!夜光貝の写真に驚いているとバイクの写真があった。看護士Aさんは、ドラッグスター(アメリカンタイプのバイク)に乗っている。タンクが純正より小さく、マフラーも改造。これを鹿児島のオーナーからオークションで買ったというから、またオドロキ。ベージュの良い形をしたアメリカンだ。そこからバイクの話へ。ブロス、XJR、ゼファー、スティード、CB750等々。いろんなバイクの話が出てきて楽しい。その時ふと看護士Aさんが言った。「○○さん(私)、さっきと全然顔が違う。明るくなった」と。明るくしてもらったんだよ。俺はやっぱりバイクが好きなのだろう。バイクの話にニコニコ。そして看護士Aさんのライフスタイルやこぼれ話にニコニコ。
今日は泣いて笑って考えたよ。そんな1日だったヨ。ところで、今日は見舞いに来た妻と殆ど話さなかった。というか、事務的な話くらいだった。彼女も疲れているのだろうか。毎日の見舞いが負担で、私の休暇申請に入院保険申請の手続。そして家事、パート。事務的なことは、入院中の俺にできないし、妻しかいないから仕方ない。俺のことで疲れる妻。俺が復活しても妻が倒れるじゃ意味ないじゃん。見舞いも一段落事務が終わったらいいヨ、って言おう。明日はこのことを妻に伝えよう。

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11/27日記~よく眠れた

午前6時起床。睡眠薬を追加したのでよく眠れた。昨夜9時30分に眠ったから8時間半寝たことになる。昨日が実質4時間しか眠れなかったことを考えると、睡眠を多く取り、ゆっくりとしたペースで本でも読む。これで十分治療になりそうな予感がする。
ところで今日は雨。窓から見える山の松の木も揺れている。植物にとっては恵みの雨。台風が近づいているらしい。植物をみると和むような気がする。
気がつくと、俺の話し相手は①さんと②さんの2人。ま、友達作りに来たわけじゃないし。

・・・・読書と言っても、病棟にある本は興味がないので妻にもってきてもらいます。持ってきてもらった本は、病棟看護士からチェックを受けます。仕事に直接関係する内容や一般的にレベルで難解な内容の本は許可しないとされました。仕事をしていない自分を責めたり、難解な本を読めない自分を責めたりするからなんだろうな、とチェックの判断基準を今の私はそう解釈しています。・・・・

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11/26日記~休むとは?

遊ぶと休むは違う。でも、遊びが心の休みになることはある。とすると、遊びや趣味を楽しめることは休めること。疲れたときに休める趣味が欲しい。もう一つ。疲れたら休む。それは“休む”のである。俗世を忘れるかのように“休む”のである。
今、私はここにアルコールに頼らない、俗世を忘れるかのような休みにはどんなものがあるか?それを探しに入院しに来ている。つまり、自分を見つめなきゃいけないな。他人じゃないよ・・・・。

・・・・入院当初、他の患者観察をしていた私でしたが、この辺りから本当に観察すべきは自分じゃないのか?と思い始めたのかな、と感じます。・・・・

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2007年12月28日 (金)

「今日は死ねる!」と思った・・

今から書く内容は入院中の日記ではなく、今日のことです。またまた、私の病気が私を襲った内容ですが、今は落ち着いていて、明日これを思い出しながら書きたくないので、今日書いておくことにします。

私はうつ病と出会ってから、これまでに「死にたい」と思うことはあっても、「死ねる」と思ったことはなかったんです。でも、今日の昼過ぎから思い始めました。

今日は死ねる!実行しようと思えば可能!

「こんな重い気持ちを引きずりながら生きていくのはもうキツイ!イヤだ!」と考えが浮かび、「だったら、今日は死ねる気がするってことは、死ねばキツイから解放されるってことじゃん!」と繋がったわけです。でも、この時点では、「死ねる」と思ったわけで「死にたい」と思ったわけではありません。
ところが、夕方あたりから
「死ねるんやったら死にたい!今日がチャンスや」と思い始めました。なぜそう思い始めたか?と言われても答えが出てこないんですけど、キツイ状態から解放されるなら今日しかない!と。その時、お酒が少し入っていたことも影響したかもしれません。

妻の帰宅後、私は言いました。「オレ、今日死ねる!」と。妻は「は?・・・」という顔をしていましたが、だんだん私の話が分かってくると、当然自殺するなと言います。それでも、私は「今日しかない!」と繰り返して死ぬ方法を考えました。というより前から自死するならコレ!と決めていました。それは服薬自殺。致死量の某風邪薬を飲むんだ、と。そして致死量も私は知っていました。

「ホントに死ぬのか?」と自問自答しましたが、「今日だ」と思って薬局へ向かおうとした途端、大雨。ずぶぬれで薬局に入り、大量に風邪薬を買い込めば明らかに怪しまれる!と思った私は、服薬を断念。自宅玄関先で縊死しようと決めました。道具を準備し、足台に乗り、首にひもをかけて、しばらく覚悟を決めるために深呼吸。まず左足から宙に浮かせました。「ううっ!結構苦しい!」と思いましたが、後は右足。

この足さえ宙に浮けば、数分のうちに解放される・・・・。

と、ここで死への恐怖に襲われ、しばらく左足だけ宙に浮いたまま・・・・。この間どのくらいあったでしょう。目の前の景色が遠くなりかけたその時!恐怖と苦しさから宙に浮かせていた左足を台に戻しました。そして縊死を諦めました。ま、いわゆる自殺未遂だったわけです。

自宅に入り、自分の部屋で踞りました。右足を浮かせられなかった後悔の念、恐怖、どうすればこのキツさから解放されるんだ?と自問自答です。「キツさからの解放」。その方法は私にも妻にも分からず、母へ電話。とても心配してくれましたが答えは出ない。と、そこへ妻が入院していた病院へ電話しはじめました。私の入院していた病棟の看護士さんに救いを求めたわけです。
対応してくれたのは、入院中よく対応して頂き、退院の見送りもしてくれた看護士さんでした。薬はきちんと飲んでいるか等を確認した上で、看護士さんは言いました。「ぬるめのお風呂に入りましょう。シャワーを頭からかけましょう。シャワーでリラックスできると思うから。そして頓服を飲みましょう」と。私が「明日もキツかったら、また頓服?」と尋ねると、「ずっと今の苦しみが続くわけじゃないから。必ず楽になるときが来るから。だから、今日はまずシャワーを浴びてみて」と言ってくれました。

「ずっと今の苦しみが続くわけじゃないから」

という一言が、私の死への緊張を少し解きほぐしてくれました。電話後、早速風呂にゆっくり浸かり、シャワーを頭からかける。これを繰り返しました。風呂に入る前、身体が緊張して階段を下りるのもままならなかった私が、ケロッとして風呂から上がってきたのに、妻もビックリしていました。勿論、私もビックリ!あの超!超!マイナス思考と死への執着は何だったんだろう?という程でした。
今、落ち着いています。看護士さんから先ほど電話を頂いたので様子を話しました。「ホットミルクを飲んで休んでみてください」と教えていただいたので、今からそれを飲んで今日は休むことにします。

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11/26日記~医者もいろいろ!

午後も1時30分から3時30分まで寝た。午後4時に妻が来る。4時15分から、私の主治医であるⅠドクターの受診。
・来年3月いっぱいまでの休暇延長。・睡眠薬の増加・リラックスタイムをつくりましょう(病院でもゆっくりしたペースで)・アルコールについて、依存と酩酊は違う。うつ病と酩酊も直接的な関係はない。だから、うつ病治療に専念しましょう。という診察内容だった。

妻は入院前に通院していた心療内科に足を運んでいた。そこで言われたこと。
・入院しても症状に変化はなく、アルコールを断つ事以外に入院の意味はない。・私が妻や子どもに甘えているので鹿児島や福岡でアルコール依存治療をした方がよい。・妻が飲酒を許容していることが問題。と言われたようだ。
しかし、私はアルコール酩酊の治療をしたいわけでない。うつ病が酩酊を誘発しているかもしれないなら、うつ病の治療を行うべきだと思うし、オレが苦しんできたのもうつ症状なのだ!以前の心療内科のドクターとは見解の相違がある。だから、もうそこには通わない。もう一つは、私の酩酊は妻のせいではない。私のせいである!

・・・・心療内科や精神科にもいろんなドクターがいます。数年前の体育大会の打ち上げで私は酩酊になり、家中のものを全部投げて殴って壊しまくったんです。それが深夜だったのでアパートの住人から「うるさい」と苦情が来て、果ては警察まで来て警察署に連れて行かれ、そこでも暴れたことがあったんです。でも酔いが覚めた後に待っていたのは、自己嫌悪とアパート住人に会わせる顔がないということでした。そんな悶々とした日々が2週間ほど続いたので、ある心療内科に行った。そこで言われた一言。「引っ越したらどうですか?」。私は、この人はアホか!と思いました。引っ越し後に酩酊でまた暴れたら、また引っ越すのか?これで診察料を取られると思うと腹がたって。ドクターとの信頼関係って大事ですね・・・・

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11/26日記~「何もしない」ってどういうこと?

午前3時起床。やや過呼吸発作がおきる。袋を使って抑える。3時30分~4時10分横になる。4時10分再起床。9時30分~12時5分睡眠。
今日は、気分が冴えない。死にたいとか消えたいとか切りたいとか、そういうのはないんだけど、すごく疲れた感じ。
俺の病気は波があり、その波のぶれ幅や期間が短くなっていく(と本で読んだ)。今日はぶれた日だ。何もしなくていいんだ。「何もしない生活」と思っていた入院生活の何かにか頑張ったのだろうか?「落ち着く」とか「何もしない」ってどういうことだ?寝ることか?座ることか?外を見ることか?
疲れた・・・・きつい・・・・

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こんな感じなんです・・

今日は12月28日。仕事納めの日。私は、現在前夜10時に睡眠薬等7錠飲んで、11時頃寝ています。それでも午前4時ごろ目が覚め、「まだ寝よう」ともう一度目を閉じ、うつらうつらで2時間で午前6時。「まだだ」と覚めた目を閉じて、またうつらうつら。
午前8時30分ごろ、家中に大声が響く。息子同士の喧嘩や妻が寝室そばで長男に向かって「そこにあるでしょ!」等の声。それで私は目が覚める。そこで私が「ブチッ」とキレル。「うるさい!!」
妻の所へよろけながら歩いていく。よろけるのは、頭が「まだ寝たい」と言っているのかもしれません。そこで私は妻にまくし立てるんです。
「次男が昨日の夕方寝てたとき、周りをドタドタ走る長男を注意してたよね?妻が昼寝してる時には私が長男とドタドタしないようにしている。でも、私が寝てても関係なしにそんな大声を出すなんて!俺なんかどうでもいいんだろ?」
妻は答えます。「大声のつもりじゃなかった。普通の声の大きさのつもりだった」。
私はさらに噛みつきます。「じゃぁ、そこから大声出してみろよ」。と私は寝室へ。妻は言われたとおり大声を出す。でも、私の眠りを覚ました時の声と大きさは変わらない。「大声だせって言っただろ?俺を起こした声と変わらない。ちゃんと大声出せ」としつこく噛みつく。そして、「俺がいるから普通の声でもうるさい、って言われるんだろ。俺がここからいなくなれば声の大きさなんか気にしなくていいじゃん。もう、俺、いなくなりたい」と布団の中で言い続ける。「いなくなりたい。どっか行けばいいんだ。俺はいない方がいいんだ」って。イライラしたままでは、もう眠れないので起きてシャワーを浴びます。その間も独り言してます。でも多分、また眠くなって私は寝てしまうんだと思います。
・・・・って、私はこんな感じなんです。入院中に考えたたくさんのことが、その昔に思いこんでいただけだったような気になってしまいます。

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2007年12月23日 (日)

11/25日記~思いがけない面会

 午後にⅡドクターがみえた。様子を見にきてくださったらしい。近況を話した後、次のことを言ってくださった。
・閉鎖的な環境で自分をみつめる良い機会ダヨ。おそらく、これからもうつ病の波があるだろう。その時に、どんなふうに考えて乗り越えてきたか。どんな苦しみをもっていたか。それをメモをしておくこともいいでしょう。
・木曜日(入院した日)とは表情が違う。切羽つまった顔と妻の行き詰まった顔を見て入院決断をしてよかった。
・半年後、1年後、客観的に自分を見ることができるときがくる。ずっと今の状態が続くわけではない。ゆっくり休んで自分を休めてみましょう。
・「自分を見つめる良い機会だ」と繰り返し話された。
・復職の件については、Ⅰ(匿名:私の担当医)ドクターと相談してもいいし、これまでⅡドクターにみてもらってきたので、Ⅱドクターでも出てくれるとのこと。
・人間は弱いものだ。喫煙はやめようと思うときやその体調によって再度やめられるものだ。たばこのことを頭に常に置いて、「いけないいけない。吸ってはいけない」とガマンするより吸った方がいいのではないかな。

思いがけずのお見舞いにビックリしたが、とても嬉しかった。私のことを気にしていてくださったことが。
自分をゆっくり、リラックスして何も考えない、あるいは見つめ直す時間にしたい。でも見つめ直すことが自己否定になっちゃだめだよな!

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11/24日記~何も考えない日々

『漁火医者』読了。「流氷が来るところで暮らしたい」と鹿児島医専出身の新人医者田村裕三が、知床の漁村で診療所に赴任したのは昭和26年。医療器具はおろか、薬さえ手に入りにくい時代に、たった一人、医書と首っぴきで村中の病気に立ち向かい名医になっていくが、自らも病に倒れてしまう。医業に情熱をかたむけ、釣り船の漁火のように人々の心にいつも明かりをともし続けた裕三の鮮烈な生涯を描いた物語。
今日は数人の患者と話す。①(45才)さんは、統合失調症。③(匿名:37才)さんはアルコール依存症。②(28才)さんも統合失調症。
何も考えていない日が続いているような気がする。だから、考えたり記憶したこともすぐ忘れる。死にたい、消えたいという気持ちは起きてこない。何も考えない日が続く訳だから消えたい、死にたい気も考えつかないわけだ。
アルコールに耐えることはつらいが、それ以上の人もいる。何も考えない、何もしないことに苦労する私がいる。外の風景をみる。今日のカゼ、強い、強くない。今日の天気、雲多い、少ない。肌寒そう。この天気なら、我が子と釣りに行けたかナ?

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11/23日記~暇だ~~!

そういえば、部屋のこと書いてなかったナ。8畳くらいの広さだろうか。個室は広いと思う。でも、ひも類は一切なし、コード類もOUT。このえんぴつも借り物。部屋にテレビなし。差し入れ食べ物持ち込み一切なし。これはなかなかキビシイ。
昨日、長く電話をしていた女性。今日もキツイ目をしていた。失恋だろうか。動いてないのに空腹になるのはなぜだろう?空腹になると、タバコが欲しくなる。今までタバコの欲しさを酒でごまかしていたのかもしれない。とすると、タバコを吸えば酒の欲しさは消えるか?それは保証できない。タバコをやめられず、酒も飲みたくなるかもしれん。
今日は重松清『ナイフ』を②(匿名)に貸した。精神系はあーいうお話好きだろう。ゲーム感覚で起こるいじめの当事者や第三者になってみる小説。
ところで、外の情報は全く入ってこない。・・・・これは後に間違いだと気づきます・・・・
誰も知らないので話題のはずみようがないのか。会話がすごくはずんだりすることはない。ま、精神病棟だもん。「ギャハハハ」じゃおかしいもんね。・・・・これも後に間違いだと気づきます・・・・
でも、居場所に困ることはない。自分のスペース。自分の時間。景色の変化はないけど。することがないことに慣れること。

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11/23日記~北病棟

午前5:30に目が覚める。とにかく部屋に何もない。机・いす・ベッド・棚。これだけ。コンセント類の持ち込みもダメ。通信手段もない。病棟毎にユニットを形成している。オレがいるのは北側の病棟1階。25人程カナ。男女共用棟。交際もあるのかもしれない。
それにしても北病棟は名の通り北向きだだヨ。陽があたんない。陽が射してるなぁ。向こうに。ゲームに乗っかった俺は我が子との時間を捨てた。俺が奄美に来たのは、この時間をとるためだったのに。
何もない生活はあきらめがつく。どこに行っても何もない。落ち着かないどころか、そわそわしようがない。えんぴつを看護士に借りてボーッと外をみる朝。今日は子どもと釣りに行けたカナ。
こんな日が続くのか。することはない。そわそわしようがないんだから!まだまだユニット患者の名前は覚えられない。昨日握手にきたのは①(匿名)さん?俺のこと覚えてっかな?担当看護士さんはいい人だ。

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11/22日記~その後

入院。はじめての入院。ちょっとドキドキする。今まで行った入院のお見舞いの時には、入院への羨望さえあった。かくして入院手続きへ。その夢見た入院生活のギャップに驚く。まず、携帯なし。ネックレスなし。ピアスさえも外してほしいという。針があるから?

・・・・病棟へは他に次のような物が持ち込み禁止でした。「はさみ・カミソリ(I 字)・ナイフ・針・爪切り等の刃物類・ライター・マッチ・針金ハンガー・漂白剤・飲食物・現金」。では日記に戻りましょう・・・・

鍵付き扉を二度・三度通ると病棟がある。部屋へ。個室だ。部屋は広いが何もない。ネットのない、現金のない生活。食事はある。さながら食堂つきの無人島。
夕食で病棟患者と出会う。結構見た目普通の人が多い。携帯とりあげられた私にとって、連絡手段は公衆電話。俺のいない家族生活ってどうなんだろう?俺も子どもで子ども3人みたいな生活から子どもが一人減った。うれしいカナ。
食事はおいしい。手作りだね。20人強が黙々と食べる。会話はないな。食材との会話だよ。男女比6:4くらいかナー。あとは喫煙者が多いネ。オレの部屋の前はライター置き場。ライターは個人所有禁止だからさ。みんなここで火をつけるわけ。これまた部屋の前でいいにおい。
ムリしてコミュニケーションとる必要性感じない。でも、人間観察したいネ。ずっと見てると気になる人が出てくるヨ。きっと。それが楽しみさ。

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11/22の日記~ゲームスタート

 この日は、2日前に行った肝臓の検査の結果が出る日です。肝臓の検査を行ったセカンドオピニオンの精神科は、奄美群島で最も大きな精神科病院です。肝臓の検査は院長直々に行ってもらいました。院長はアルコール依存患者の治療を数多くみてきた、ということだったので。
 ここからは、その日に書いた日記を綴っていきます。この1ヶ月間、私がどんな経過を辿ってきたのか、その日の、その時の声を書き残すためです。その時の状況を分かりやすくするために、時折ナレーションのようなものが入るかもしれません。

 入院したよ。朝から落ち着かない1日ではあった。落ち着かない私には、刺激のあるもの。落ち着かせるもの。それが必要だ。それはゲームであり、刺激的な危険である。危険な行為は、自分をスレスレまで痛めつけることであり、ゲームである以上、楽しくドキドキしたものになる。今日は佐賀の日だ。でも俺は奄美にいる。まぁ、俺がいてもいなくても関係ないんだよ。「お前の存在軽いヨ。切っちゃえば!周りもおどろくヨ。あとに残るし。」

・・・・と考えながら私は台所から包丁をもって自分の部屋へ行きました。左手を地面について、右手で包丁を左手に向けて突き立てました。この時、家には誰もいませんでした。左手を刺そう!刺そう!と思うと過呼吸が出てきて、どんどん呼吸が荒くなります。では、ここで日記に再び戻りましょう・・・・

火曜の検査も知りたかったし、院長にこの過呼吸を見て欲しかったカナ。オレが治療すべきはアルコールじゃねぇヨ!この過呼吸で苦しんできたんだ!って。アルコールが問題なら、とっくに病院送りになってるはずじゃん。過呼吸でしびれのきた全身。ハンドルも握れねェけど、病院に行くよ。オーバー気味なほどの過呼吸。病院に着いて車を降りても足がしびれて立てずに倒れる。それでも病院内へ。処置室で倒れる。刺激ダヨ!ゲームスタートダヨ!脈・血圧・筋肉注射。院長の顔がうっすら見える。
午後1時・・・・目が覚める。トイレ。点滴をもってく。帰ってくると、血管から血が逆流しちゃってて。点滴つけなおし。腕をさすりながら優しく対応してくれる看護士さん。妻へメールをうつ。「今、病院」。妻が病院へ電話。何だか根回しでⅡ(匿名:セカンドオピニオンで診てもらっていた先生なんです)先生が診てくれることに。
消えたい自分と消えてはいけない自分。ゲームに参加したい自分と参加してはいけない自分。葛藤。職場の目はどうでもいいが、1月復帰はできないと言われた。ボクは月曜に再来院すればいいと思っていたが、妻は限界だったのかもしれない。

・・・・とこうして即日入院が決定しました。

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11月20日の「私」

 私は11月初旬に旅に出ました。そして長男の誕生日に奄美に帰り着きました。そして11月20日、それまで通っていた心療内科に行きました。そこでの診察のこと。
 ・ うつ病の症状はほぼ治りつつある。
 ・ うつ病よりもアルコールによる酩酊が度々あることを治療した方が良い。
   (2~3年前から酩酊になるほど酒を飲み暴れたりすることがあったんです)
 ・ 肝臓(を含む内臓)の検査をした方が良い。
 ・ アルコール依存ならば知っている医者を紹介する。
という内容でした。11月に入って確かに穏やかな生活をしていました。でも、本当に私の課題は「アルコール」なの?うつ病の時のあの苦しみは、アルコールの問題になってしまうの?という疑問はありました。
 それでも、セカンドオピニオンの精神科で肝臓の検査をしてもらいました。そこで酩酊になることとアルコール依存症は別のものであること、うつ病が酩酊を誘発しているかもしれないことを教えてもらいました。私にはセカンドオピニオンの意見の方が納得できました。

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はじめに

 今回、ブログを移設しました。どうぞよろしくお願いします。
なぜブログを移設したのか??このことについてまず書くことから始めましょう。

私はブログを自分の記録として、歩みとして残しておくことを目的に書いています。
なので、ある程度の記事が溜まるとそれを書籍にして保存したいと思っています。
これまで記事を書き溜めてきたブログを今回書籍にしようとしたら、かなり料金が高くてビックリしたことと、書籍にするのが何だか複雑で、もっと簡単に書籍にしたいと思って、以前使用していたブログサイトに移設し直したというのが1つめの理由です。

次に、私はこの新ブログをスタートさせる直前まで精神科に入院していました。私が入院するのは人生初めてのことでした。内科や外科などと違って身体的な苦痛を経験する入院生活ではありませんでした。でも、人生初の入院生活は、私に実に多くのことを考えるためのヒントと時間を与えてくれました。こんなに考える時間を与えられたことはこれまでの人生でありませんでした。私はそこでいろんなことを考えました。と同時に何も考えない自分の時間もたくさんありました。何も考えない時間って結構大切です。何も考えないことは意外に難しいものです。でも、この時間があるから自分のことを考える時間が再び登場してくることになるわけです。だから何も考えない時間は大切です。

このブログをスタートさせる今、私は退院しましたが完治したわけではありません。私はうつ病です。調子の良い日もあれば調子のよくない日もあります。そんな日々の繰り返しの中で今まで自分が知らなかった、というか「時間の無駄」と考えていた時間やモノの面白さや大切さを知ることができました。そういう今まで経験したことのなかった自分を書き残しておくことは、自分のことを記録しておく上で大切なことだと思います。なので、新しいブログをスタートさせて、私のことを記録しておきたいと思います。それは、私にとってきっと意味あることになるでしょう。

私にしか意味のないことをわざわざブログにする必要があるのか?
実は意味のないことかもしれません。でも、私にとっては意味のあることなのでブログとして記録に残すことにします。私のブログをご覧になる方がいるとして、このブログがその方にとっては全く意味のないものかもしれません。それでも構いません。今、私がブログを新設することは、あくまで「私」のためだということだということをはじめの言葉として、このブログをスタートします。

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